下毛野子麻呂(読み)しもつけぬのこまろ

朝日日本歴史人物事典 「下毛野子麻呂」の解説

下毛野子麻呂

没年:和銅2.12.20(710.1.24)
生年:生年不詳
律令制成立期の官人で,大宝律令編纂者のひとり。毛野(栃木・群馬両県)の有力豪族下毛野朝臣氏の出身であるが,系譜は未詳。名は古麻呂とも書く。持統天皇3(689)年直広肆の位にあって私奴婢600人を解放したことが『日本書紀』に特筆されている。大宝律令の編纂に当たって藤原不比等などとともに中心的な役割を果たし,文武天皇4(700)年,大宝1(701)年,同3年に都合4度,禄,功田,功封を与えられた。大宝1年には親王以下に大宝令を講じている。2年には国政に参議することになり,これに前後して右大弁,兵部卿,式部卿などの要職を歴任した。正四位下式部卿大将軍で死去

(橋本義則)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android