円信(読み)えんしん

朝日日本歴史人物事典 「円信」の解説

円信

生年生没年不詳
平安後期の円派系仏師長円の子または弟子と伝えられる。保延3(1137)年,鳥羽上皇御願による安楽寿院造仏阿闍梨となり,同5年の崇徳天皇御願による成勝寺の造仏で法橋に,また久安1(1145)年白河二条の十一面堂本尊の造仏では法眼に上った。このほか仁平1(1151)年には高野山大塔の再興造仏を担当し,同年,高野山蓮華谷丈六堂の本尊丈六金色阿弥陀如来像を造立した。鳥羽院の時期は円派系仏師の黄金期とみなされ,円信は長円,賢円の工房を支える一方で,独自に院関係の造仏に携わるなど,その中心的存在であった。現存する奈良・西大寺四王堂の十一面観音像は,その遺作と考えられている。<参考文献>武笠朗「西大寺四王堂十一面観音像について」(『美術史』120号)

(浅井和春)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「円信」の解説

円信 えんしん

?-? 平安時代後期の仏師。
長円の子ともいわれる。保延(ほうえん)5年(1139)成勝寺の仏像をつくり法橋。天養2年白河御堂の造仏で法眼(ほうげん)にすすむ。仁平(にんびょう)元年高野山大塔の5仏像を制作した。

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