賢円(読み)けんえん

朝日日本歴史人物事典 「賢円」の解説

賢円

生年生没年不詳
平安後期の円派の仏師円勢次男で,長円は兄と伝えられる。永久2(1114)年11月,白河院御願寺の九体阿弥陀像を円勢,長円と共に制作して法橋位を,大治5(1130)年7月には,白河新阿弥陀堂の丈六九体本尊の造像で法眼位を,それぞれ父円勢から譲られる。長承3(1134)年6月の得長寿院の半丈六五大尊像および保延2(1136)年3月の鳥羽勝光明院本尊丈六阿弥陀仏の造仏により法印に上る。その他,仁和寺北斗堂や同寺孔雀明王堂の仏像,鳥羽金剛心院阿弥陀堂の丈六九体阿弥陀像などの造像が知られる。賢円作と推測される現存作品として,京都・安楽寿院の阿弥陀如来像があげられ,定朝様の正系を継ぐ優美な作風を示している。<参考文献>小林剛「仏師法印賢円」(『日本彫刻作家研究』),伊東史朗「院政期仏像彫刻史序説」(『院政期の仏像―定朝から運慶へ―』)

(浅井和春)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「賢円」の意味・わかりやすい解説

賢円
けんえん

平安時代後期の円派の仏師。円勢の次男。兄長円とともに京都を中心に造仏界に活躍,円派の勢力伸長に尽した。兼円とも書く。大治4 (1129) 年長円とともに女院御願の『七仏薬師像』,翌年には白河新阿弥陀堂の本尊像を制作,長承4 (35) 年仁和寺北斗堂の造仏の賞として法印に叙せられた。ほかに,延勝寺,金剛心院その他の造仏に従事。京都安楽寿院多宝塔に現存の『阿弥陀如来像』は賢円の作と推定される。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「賢円」の解説

賢円 けんえん

?-? 平安時代後期の仏師。
円勢の次男。長円の弟。永久2年(1114)父や兄とともに白河新御願寺(蓮華蔵院)の九体阿弥陀(あみだ)像を制作。保延(ほうえん)2年鳥羽勝光明院の本尊丈六阿弥陀仏の造仏で法印となる。鳥羽安楽寿院の阿弥陀如来(にょらい)像が現存する唯一の作品と推定される。

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世界大百科事典(旧版)内の賢円の言及

【得蔵保】より

…加賀国石川郡北部(現,金沢市北西端)の臨海荘園で,犀川河口西岸に近い金沢市専光寺町の戸畔(とくろ)が遺称地と考えられる。1088年(寛治2)醍醐寺少別当賢円が加賀郡大野郷(中世の石川郡大野荘)の一部を再開発し,すでに国衙領として収公されていた寺領加賀国高羽荘,治田(はりた)荘の領有権回復工作を断念する代償として,翌89年に加賀守藤原家道から醍醐寺に充てられ,賢円が保司となった。以後南北朝期までは醍醐寺准胝(じゆんてい)堂領であり,賢円の法脈を継承する理性院が領家職を伝領している。…

※「賢円」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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