賢円(読み)けんえん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「賢円」の意味・わかりやすい解説

賢円
けんえん

平安時代後期の円派仏師円勢次男。兄長円とともに京都を中心に造仏界に活躍,円派の勢力伸長に尽した。兼円とも書く。大治4 (1129) 年長円とともに女院御願の『七仏薬師像』,翌年には白河新阿弥陀堂の本尊像を制作,長承4 (35) 年仁和寺北斗堂の造仏の賞として法印に叙せられた。ほかに,延勝寺,金剛心院その他の造仏に従事。京都安楽寿院多宝塔に現存の『阿弥陀如来像』は賢円の作と推定される。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「賢円」の解説

賢円 けんえん

?-? 平安時代後期の仏師。
円勢の次男。長円の弟。永久2年(1114)父や兄とともに白河新御願寺(蓮華蔵院)の九体阿弥陀(あみだ)像を制作。保延(ほうえん)2年鳥羽勝光明院の本尊丈六阿弥陀仏の造仏で法印となる。鳥羽安楽寿院の阿弥陀如来(にょらい)像が現存する唯一の作品と推定される。

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世界大百科事典(旧版)内の賢円の言及

【得蔵保】より

…加賀国石川郡北部(現,金沢市北西端)の臨海荘園で,犀川河口西岸に近い金沢市専光寺町の戸畔(とくろ)が遺称地と考えられる。1088年(寛治2)醍醐寺少別当賢円が加賀郡大野郷(中世の石川郡大野荘)の一部を再開発し,すでに国衙領として収公されていた寺領加賀国高羽荘,治田(はりた)荘の領有権回復工作を断念する代償として,翌89年に加賀守藤原家道から醍醐寺に充てられ,賢円が保司となった。以後南北朝期までは醍醐寺准胝(じゆんてい)堂領であり,賢円の法脈を継承する理性院が領家職を伝領している。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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