デジタル大辞泉
「長円」の意味・読み・例文・類語
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ちょう‐えんチャウヱン【長円】
- 〘 名詞 〙 二点からの距離の和が一定であるような点の軌跡。その二点が異なるとき、円を細長くしたような形になるところからいう。楕円。
- [初出の実例]「尾星〈略〉は一種の游星にして、太陽を旋回す。然れども、其行圏甚だ長円にして、十二宮の行次に拠らず」(出典:遠西観象図説(1823)下)
ちょうえんチャウヱン【長円】
- 平安時代、永延(九八七‐九八九)頃の刀工。豊前の人。源義経が平家追討に際し帯びていた太刀が長円の作で「薄緑」と呼ばれたという。生没年不詳。
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長円
没年:久安6(1150)
生年:生年不詳
平安後期の円派系仏師。円勢の長男。京都の五条高倉に仏所を構え,主に皇族や公家の発願による造像を行った。長治2(1105)年に尊勝寺諸仏の造像で法橋に叙され,元永1(1118)年には白河新御願寺の造仏により法眼に,長承1(1132)年法荘厳院の造仏では法印に上った。造像界のみならず僧界にも勢力をのばし,大治4(1129)年には清水寺別当に就任し,さらに興福寺大仏師職をも望む(これは同寺の僧に反対されて果たせなかった)など,その政治力により円派に全盛期をもたらした。昭和63(1988)年に見出された仁和寺北院伝来の檀像薬師如来像は,康和5(1103)年に父円勢と合作した長円初期の作品である。<参考文献>田中嗣人「藤原時代の仏師たち」(『日本古代仏師の研究』),伊東史朗「仁和寺旧北院本尊薬師如来檀像について」(『仏教芸術』177号)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
長円
ちょうえん
[生]?
[没]久安6(1150).7.7.
平安時代後期円派の仏師。大仏師円勢の長男。長治2 (1105) 年尊勝寺造仏の賞で法橋,永久2 (14) 年父円勢らと白川九体堂の造仏に従って法眼となり,長承1 (32) 年法印に叙せられる。宮中,公家の主要な造仏に従い,大治4 (29) 年には別当として清水寺の堂塔を再興した。確証ある遺作はない。
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長円(1) ちょうえん
?-? 平安時代中期の僧。
筑紫(つくし)の人。比叡(ひえい)山で日夜法華経を読誦(どくじゅ)し,不動明王につかえて修行。のち葛城(かつらぎ)山での苦行のときや熊野から金峰山(きんぷせん)へいく途中で道にまよったときなどに,法華経の力と明王の霊験のあらたかさを感得したという。長久年間(1040-44)に没した。
長円(2) ちょうえん
?-1150 平安時代後期の仏師。
円勢の長男。父とともに白檀(びゃくだん)の薬師像を手がけるなど,鳥羽院院政下の造仏事業にたずさわった。円派。元永元年白河新御願寺の造仏賞により法眼,大治(だいじ)4年清水寺別当,長承元年法荘厳院の造仏賞により法印となる。久安6年死去。京都出身。
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長円【ちょうえん】
かつては半径の等しい二つの円を共通外接線でつないだ形(たとえば陸上競技のトラックの形)をいったが,現在は楕円をいう。
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普及版 字通
「長円」の読み・字形・画数・意味
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世界大百科事典(旧版)内の長円の言及
【楕円】より
…平面上で,2定点F,F′からの距離の和が一定値であるような点によって描かれる図形を楕円,または長円といい,FとF′をその焦点という。1定値を2aとし,線分FF′の長さを2cとするとき,e=c/a(<1)を離心率という。…
【円派】より
…名前に〈円〉をつけるのが普通である。平安時代には[院派]とともに皇家や貴族の造仏に当たることが多く,ことに12世紀前半の彫刻界は[円勢]一門の長円,賢円らを中心に展開した観があり,その後も[明円](みようえん)など一流の仏師を輩出した。ことに長円は清水寺別当という高位を得たこともあった。…
※「長円」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」