医疾令(読み)いしつりょう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「医疾令」の意味・わかりやすい解説

医疾令
いしつりょう

正確には「いしちりょう」と読む。『大宝令』のなかにある医薬全般にわたる諸規定。『令集解』目録に『養老令』の医疾令は 27条から成るとあるが,原文早くから散逸して伝わらない。ただ『政治要略』『続日本紀』『類集三代格』『令集解』などに逸文があり,それを集めて『令義解』に医疾令 27条として収められている。医療関係の職員の任用考課,諸学生の教育,課試薬園の運営,採薬投薬などを詳細に規定している。日本最初の医事法規であるが,平安時代に公家法が発達し,鎌倉時代以後は武家法が生れたため,ほとんど行われなくなった。しかし,典薬頭,医師などの職名をはじめ,医事関係の多くの用語がこれに由来している。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「医疾令」の解説

医疾令
いしつりょう

大宝・養老令の編目。養老令では第24編であるが,大宝令では第19編であったことが平城宮木簡から知られる。倉庫令と同じく散逸したが,「政事要略」などにより逸文収集が行われた結果,全27条のうち26条が復原され,残り1条も内容が推定されている。唐令をほぼ全面的に継受して成立医博士の任用規定に始まり,医生(いしょう)の資格,講義内容,試験方法,また諸国医療制度,薬物徴収体制などを規定する。

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世界大百科事典(旧版)内の医疾令の言及

【医者】より

…彼らが帰国して隋・唐医学を伝えると,これが日本における医療制度確立の嚆矢(こうし)となった。大化改新にはじまる国家体制の整備にともない,医療制度も唐を模倣した〈医疾令〉にのっとって,中央に典薬寮や内薬司,地方に国学が設けられ,国家による医者の養成が行われるようになった。その結果,貴族が実権を握った奈良・平安期を通じ,官医の活躍がめざましくなる。…

※「医疾令」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」