吉田宗房(読み)よしだ・むねふさ

朝日日本歴史人物事典 「吉田宗房」の解説

吉田宗房

生年生没年不詳
南北朝時代南朝公卿。父は内大臣定房,母は権大納言四条隆顕の娘。父母共に大覚寺統に縁があったので,宗房も後醍醐天皇のときに朝廷に出仕し,元徳2(1330)年右少将,次いで右中将となり,南北朝時代には当然南朝に仕え,そこで参議から中納言,大納言,右大臣となり,北朝側との交渉役としても働いた。しかし明徳3(1392)年の南北朝合体後は消息が不明である。『新葉和歌集』に和歌6首が収められている。

(飯倉晴武)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉田宗房」の解説

吉田宗房 よしだ-むねふさ

?-? 南北朝時代の公卿(くぎょう)。
父は吉田定房。母は四条隆顕(たかあき)の娘。父にしたがい南朝につかえ,参議となって伝奏をつとめる。大納言,右大臣となり,北朝との和平交渉にあたった。明徳3=元中9年(1392)以後は消息不明。「新葉(しんよう)和歌集」に和歌がおさめられている。

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