鎌倉末~南北朝初期の公卿。父は権大納言経長,母は権中納言葉室定嗣の女。北畠親房,万里小路宣房(までのこうじのぶふさ)とともに〈後の三房〉と称された。父経長とともに大覚寺統に忠勤を励み,後宇多上皇の信任をえて,1301年(正安3)大覚寺統の後二条天皇即位のとき,蔵人頭となり,翌年参議右兵衛督に任官,検非違使別当となる。03年(嘉元1)従三位,05年権中納言,06年(徳治1)後宇多上皇の院執権となり,07年正三位に昇るなど,官位ともに昇進したが,08年(延慶1)持明院統の花園天皇即位により,翌年辞官。18年(文保2)大覚寺統の後醍醐天皇の即位により,再び後宇多院政となるや,院評定衆,伝奏となり,19年(元応1)権大納言に任ぜられた。24年(正中1)後宇多上皇の没後,天皇は討幕計画を立てたが,事前に漏れて(正中の変)窮地に立った。万里小路宣房が天皇の誓書を携行して鎌倉に下り,事は収まったが,この誓書は定房が起草したとも伝えられる。30年(元徳2)従一位に昇った。このころ天皇は皇位継承に関する幕府の介入に激怒して,再び討幕計画をめぐらしたが,これを諫止する意見書が残っており,その作者は定房と推定されている。翌31年(元弘1)4月,定房は,日野俊基を討幕計画の首謀者として,幕府に密告した。これが発端となって〈元弘の変〉に至るので,裏切り行為とも見える定房のこの挙動について種々の議論があるが,1940年刊行の《吉田定房事蹟》は,俊基らの臣下を犠牲にして天皇の危機をのがれんとした定房の遠謀と解している。建武中興とともに父祖を越えて内大臣に任ぜられ,南北両朝の併立期には北朝に仕えのち南朝に走り,吉野に没した。その日記を《吉槐記(きつかいき)》といい,正応6年(1293)正月記,乾元1年(1302)8月記,同2年正月・2月記,嘉元3年(1305)閏12月記,徳治1年正月記が残存するにすぎないが,定房の有職故実に関する言動や日記を,弟の隆長が編纂したものに《吉口伝(きつくでん)》一名《夕郎故実》がある。また《新後撰集》《続千載集》《続後拾遺集》《新葉集》《臨永集》などの和歌集に,その和歌が収められている。
執筆者:今江 広道
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(本郷和人)
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鎌倉後期~南北朝初期の公卿(くぎょう)。経長(つねなが)の子。母は葉室定嗣(はむろさだつぐ)の女(むすめ)。従(じゅ)一位。後宇多(ごうだ)・後醍醐(ごだいご)天皇に仕え、院執権となり、関東への使者として公武間の斡旋(あっせん)に努めたが、また1331年(元弘1)後醍醐の討幕計画を幕府側に密告したこともある。建武(けんむ)政権にも重用され、内大臣に任ぜられ、民部卿を兼ね、やがて伊勢(いせ)の知行(ちぎょう)国主ともなった。南北両朝分裂後、南朝方に仕え、吉野で没した。とくに後醍醐天皇の名臣として、万里小路宣房(までのこうじのぶふさ)・北畠親房(きたばたけちかふさ)とあわせて、いわゆる「後の三房(さんぼう)」と称せられる。日記に『吉槐記(きつかいき)』がある。
[山口隼正]
1274~1338.1.23
鎌倉末~南北朝初期の公卿。経長の次男。蔵人(くろうど)・弁官・蔵人頭をへて,1302年(乾元元)参議となる。父とともに大覚寺統に親近し,後宇多上皇の執権・伝奏となった。また乳父(めのと)として後醍醐天皇に近侍して側近となり,北畠親房・万里小路(までのこうじ)宣房とともに「後の三房」とよばれた。元弘の乱は,定房が討幕計画を鎌倉幕府に密告したことが発端となったといわれるが,幕府滅亡後の建武政権下では,再び後醍醐天皇に重用され,内大臣に任じられるという破格の昇進を遂げた。南北両朝の分裂時には北朝に仕え,のち南朝に走り,吉野で没した。
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…しかし,後醍醐天皇親裁による恩賞宛行(あておこない)と恩賞方の審議とは必ずしも連携せず,恩賞問題は混乱した。34年(建武1),全国を4地区に分け,吉田定房(東海・東山道),九条光経(北陸道),万里小路藤房(畿内・山陽・山陰道),四条隆資(南海・西海道)をそれぞれ頭人とする四番制を採用して機構を整備した。これら頭人は雑訴決断所の頭人あるいは寄人(よりうど)を兼任した。…
…為房も白河,鳥羽天皇のもとで活躍した。後三房は南北朝期の吉田定房,万里小路(までのこうじ)宣房,北畠親房。3人は後醍醐天皇の信任厚く,定房,宣房は正中の変,元弘の乱にも関与し,親房は《神皇正統記》を著し南朝の指導者として重要な位置を占めた。…
※「吉田定房」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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