伝奏(読み)テンソウ

デジタル大辞泉 「伝奏」の意味・読み・例文・類語

てん‐そう【伝奏】

[名](スル)《「でんそう」とも》
取り次いで奏上すること。
平安後期以降の朝廷の職名。親王摂関家・武家・社寺などの奏請を院や天皇に取り次ぐことをつかさどった。その中でも室町時代以降の武家伝奏は、特に江戸時代において公武間の意思の伝達にあたる重職であった。

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精選版 日本国語大辞典 「伝奏」の意味・読み・例文・類語

てん‐そう【伝奏】

  1. 〘 名詞 〙 ( 「でんそう」とも ) 奏請を天皇または上皇にとりつぐこと。また、それを任務とする職。平安末期から上皇の院司の内にみえ、南北朝以降はもっぱら天皇のためにおかれたもので、多く大・中納言が任じられた。次第に奏請者ごとに分化し、室町以降、幕府に対しての武家伝奏、主要な神社寺院に対しての寺社伝奏がおかれた。また、即位改元凶事など朝廷の重要な行事におかれることもあった。
    1. [初出の実例]「還参内、以蔵人恒昌此由、依御物忌伝奏也」(出典小右記‐天元五年(982)正月二五日)

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改訂新版 世界大百科事典 「伝奏」の意味・わかりやすい解説

伝奏 (てんそう)

中・近世の公家政治制度の職名。政務を執る院または天皇に,政事を奏聞し,政断を伝宣する役職,また奏聞,伝宣をすることをいう。11世紀末,白河院政の成立以来,公家政治はたてまえ上は天皇,太政官による律令政治を維持しながらも,実質的には政務といわれる院が専断する政治となり,徐々に太政官を経ず政務を執行する体制が確立されるようになる。鎌倉中期ごろの例でいえば,中世社会の根幹である所領,所職の与奪,安堵,相論裁許,課税催免などに関しては天皇,太政官を経ず直接院宣をもって沙汰し,律令的官位,待遇あるいはこれに準ずる職位の補任,昇階は,院宣によって太政官を動かし,政務を全う(官文書を発給)させた。このような院政を支える独自な政務執行機関として,伝奏と評定衆があった。院政成立当初,奏聞,伝宣の役を務めたのは,院側近の院司や女房であったが,後白河院政(12世紀後半)では専門の伝奏が置かれ,後嵯峨院政(13世紀中ごろ)に至って伝奏制度が確立整備された。伝奏には,実務に精通した能吏の者が院宣によって補任されたが,傾向として弁官や職事を経験した公卿や蔵人頭のうちから選ばれることが多かった。伝奏の下で,政務を分担し,訴訟の受付け,政断の執行にあたったのが奉行であるが,伝奏は奉行の奏事を院に取り次ぎ,また院の意志を奉行に伝えて執行させるのがその役目である。政務の執行は,奉行の奉ずる院宣によって行われるが,所領,所職の与奪,安堵にかかる重事などは,伝奏自身が奉行を兼ね院宣を奉じた。

 中世以降,院政が途切れ,天皇が直接政務を握ることを親政というが,この親政もすべて太政官を通じて行う政治ではなく,院政において院宣をもって執行した政務事項は,やはり太政官を経ず直接奉行の奉ずる綸旨(りんじ)をもって行った。その際,伝奏の任にあたったのが,当初は蔵人頭であったが,少なくとも伏見天皇親政(13世紀末)のころには公卿の伝奏が置かれるようになった。伝奏の数は,後嵯峨院政当初は2人であったが漸次増加し,次の亀山院政には数人が結番して当番で事にあたり,また後伏見院政には,神宮伝奏や諸寺諸社に専任の寺社伝奏が置かれるようになった。さらに,伝奏とはいわないが公家と鎌倉幕府との間を取り次ぐ役職として,関東申次(もうしつぎ)があったが,鎌倉時代を通じて西園寺家がこの任にあたっている。室町幕府が成立すると,これは武家執奏と名を変え,一時中断はあるものの西園寺家が引き続きこれを務めたが,後円融院政ごろ廃絶する。他方,伝奏は,光厳院政ごろから奉行の実務を侵食し,ほとんどの院宣を奉行するようになり,後光厳天皇親政では,綸旨のかわりに伝奏奉書を出す事態が現れる。14世紀末,足利義満が公家に代わって政務を担当するようになると,伝奏はその室町殿に祗候し,その仰せをも伺い,これを執行するようになり,伝奏が公武共用の制度となった。室町・戦国期には,武家の命は伝奏奉書で,公家の仰せは綸旨で行われる慣例までできたのである。戦国中期,室町幕府が弱体化すると,この伝奏は武家伝奏と呼ばれるようになり,特殊な伝奏の一つとされるようになる。江戸時代には,武家伝奏が朝廷と幕府との間の申次役として設置され,定員は2名であった。このほか親王,摂家,寺社の奏請を院や天皇に伝える伝奏が多く定められ,世襲されるようになった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「伝奏」の意味・わかりやすい解説

伝奏
てんそう

取次ぎ奏聞(そうもん)することをつかさどる役職。院伝奏はすでに白河(しらかわ)院政期(1086~1129)にみえるが、天皇のために置かれたのは建武(けんむ)政権(1333~36)のときがその初めである。伝達奏聞の対象により、武家伝奏、寺社伝奏などの別があり、即位、改元、凶事などにも臨時にその伝奏を置くことがあった。江戸期には武家伝奏は関白に次ぐ要職であり、朝廷と幕府の間の交渉をつかさどることをおもな職務とし、さらに朝廷の表向(おもてむき)・口向(くちむき)の要務や寺社からの奏請の取次ぎにも携わった。定員は2人で、納言(なごん)・参議のなかから補された。なお寺社伝奏には、南都伝奏、神宮伝奏、賀茂(かも)伝奏などがあった。

[橋本政宣]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「伝奏」の意味・わかりやすい解説

伝奏
てんそう

親王家,摂家,寺社,武家などの奏請を院,天皇に伝え奏する職。院の伝奏は白河天皇の院政とともに,天皇の伝奏は建武中興の際に始ったといわれる。寺社伝奏,神宮伝奏もあったが,武家伝奏は特に重要で,室町幕府の創立のとき始り,江戸幕府では慶長8 (1603) 年以来公家2人が任じられて朝幕間の連絡にあたり,慶応3 (1867) 年廃止された。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「伝奏」の解説

伝奏
てんそう

平安末~江戸時代に朝廷におかれた役職。院政・親政を行う上皇・天皇に近侍し,奏聞・伝宣を職務とした。平安末の後白河院政期に成立し,鎌倉中期の後嵯峨院政期に制度が確立。以後,事項別に分化。朝廷と幕府間の交渉は鎌倉時代は関東申次,室町時代は武家執奏の勤めであったが,やがて伝奏が直接幕府と接触するようになり,一時期足利将軍の意をうけて奉書を発給することもあった。のちに武家伝奏と称され,江戸時代にも幕府の承認をえて任命された。

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旺文社日本史事典 三訂版 「伝奏」の解説

伝奏
でんそう

平安時代以降,親王・摂家・武家・寺社などの奏請を天皇・上皇に伝える貴族(のち公家)の役職
上皇の伝奏は院の伝奏といい,最も早く後白河上皇の院政時代に設置された。天皇の伝奏は建武の新政の際に初めて設置。武家伝奏は室町時代に設けられたが,江戸時代に至り要職とされ,公家2名が選ばれ公武間の意思の疎通をはかった。

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百科事典マイペディア 「伝奏」の意味・わかりやすい解説

伝奏【てんそう】

平安後期から江戸期の天皇・上皇への取次役。院政期に院と摂関・寺社などの連絡係として起こり,室町時代に天皇への武家伝奏が始まる。江戸幕府はこれを重視,公家から常時2名を選任して厚遇。1867年廃止。

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世界大百科事典(旧版)内の伝奏の言及

【女房奉書】より

…とくに天皇の女房奉書は勾当内侍(こうとうのないし)が奉ずる。鎌倉中期以降の公家政治は,院政にあっては伝奏(てんそう)が,親政にあっても鎌倉末までには伝奏が置かれ,政務を執る院や天皇の奏聞・伝宣の役を担っていた。伝奏は本来直接仙洞や内裏に参入して事にあたったが,ときおり不参のときには側近の女房の奉書をもって伝奏に仰せを伝えさせたのである。…

【武家伝奏】より

…朝廷と幕府間の意思疎通をはかるために置かれた公家の役職。本来,伝奏は武家,寺社等の奏請を伝奏することをつかさどり,室町時代には武家伝奏,寺社伝奏の職掌分化をみた。江戸時代には武家伝奏をとくに要職とし,単に伝奏とも称した。…

※「伝奏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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