城東区(読み)ジョウトウク

デジタル大辞泉 「城東区」の意味・読み・例文・類語

じょうとう‐く〔ジヤウトウ‐〕【城東区】

城東

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日本歴史地名大系 「城東区」の解説

城東区
じようとうく

面積:八・四七平方キロ

上町うえまち台地東方の大阪市東部に位置し、東は鶴見、北から西にかけて旭・都島みやこじま・東の各区に接する。区の中央部を寝屋川が、その南を第二寝屋川・平野川が西流。また東部を城北しろきた運河・平野川分水路が通り寝屋川・第二寝屋川に合流。鶴見区との境を大阪内環状線が通り、都島区より当区に入った国道一号は、蒲がもう四丁目で大阪―生駒線を分岐して北進。鉄道は北西部を京阪電鉄本線、中央部を国鉄片町線、それより北に城東貨物線、西端旧猫間ねこま川跡に沿って国鉄大阪環状線が通る。また北西端を地下鉄谷町線、南端付近を東西に地下鉄中央線が通る。区名は昭和一八年(一九四三)東成ひがしなり区から独立した際、大阪城の東に位置するところからつけられた。

〔原始・古代〕

縄文時代前期、上町台地東方に広がっていた河内湾は、縄文時代後期―弥生時代前半には河内潟、弥生時代後期―古墳時代には河内湖となったが、当区はこのいずれの時代にも水没していた低地である。上町台地東端の現東区森の宮もりのみや遺跡の縄文時代中期―同後期の地層から海水産のマガキ、縄文時代晩期―弥生時代の地層から淡水産のセタシジミが出土しており、区域付近が河内湾から河内潟・河内湖へ変化していく様を示している。大正五年(一九一六)今福いまふくから弥生―古墳時代の独木舟(刳船)が出土、当時水上交通が盛んであったことが推定される。難波の堀江なにわのほりえ(現大川)の開削のような治水工事により区域もしだいに陸地化し、北半は「和名抄」の摂津国東生ひがしなり古市ふるち郷、南半は郡家ぐうけ郷に属したと推定されている。ほぼ現寝屋川と淀川・大川に囲まれた古市郷も含む広い地域に、平安時代榎並えなみ庄が成立、当初は大和法隆寺など多くの領主の所領が錯綜していたとみられるが、一一世紀後半には摂関家領として確立、近衛家が伝領した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「城東区」の意味・わかりやすい解説

城東〔区〕
じょうとう

大阪市北東部の区。 1943年新設。寝屋川・平野川下流域の低湿地を占め,中央を東西に寝屋川,南北に排水用の城東運河と城北運河が流れる。明治初期,大阪城の東に設けられた旧陸軍造兵廠の下請け家内工業が発達,水利に恵まれて次第に発展した。現在は各種金属加工をはじめ衣服その他の繊維工業や石鹸,ゴムなどの化学工場が立地し,大阪東部工業地域の一部をなす。中小規模の工場が多い。今福,放出 (はなてん) ,中浜に下水処理場がある。旧造兵廠跡の一部は第2次世界大戦後,超高層住宅ビル群と地下鉄車両工場地となった。 JR片町線,京阪電気鉄道本線,地下鉄鶴見緑地線, 国道 308号線が通る。面積 8.38km2。人口 16万9043(2020)。

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