村野盛政(読み)むらの・もりまさ

朝日日本歴史人物事典 「村野盛政」の解説

村野盛政

没年:文政2.4.20(1819.5.13)
生年明和1(1764)
江戸後期の茶業改良家。剣術家,俳諧師としても活躍。通称弥七。武蔵国入間郡坊村(東京都瑞穂町)の生まれ。家伝によると,寛政年間(1789~1801)に茶業に着手し,近郷吉川温恭と共に室町時代の記録にみえる「武蔵河越茶」を復興した。製茶法を改良し,文化10(1813)年には「宇治信楽の風味にも劣らず」と評されたという。江戸の茶商山本嘉兵衛らからも,吉川家の製品とともに「狭山土産之宇治製茶」と高い評価を得,横浜開港以後の狭山茶発展の基礎を築いた。<参考文献>埼玉県茶業協会『狭山茶業史』

(重田正夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「村野盛政」の解説

村野盛政 むらの-もりまさ

1764-1819 江戸時代後期の製茶家。
明和元年生まれ。武蔵(むさし)入間郡坊村(東京都瑞穂(みずほ)町)の人。剣術師範で,俳人享和のころ近村の吉川温恭(よしずみ)と協力して茶を栽培。製茶法を改良して「狭山(さやま)茶」をおこし,江戸の茶問屋でたかい評価をうけた。文政2年4月20日死去。56歳。通称は弥七。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例