池田章政(読み)いけだ あきまさ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「池田章政」の解説

池田章政 いけだ-あきまさ

1836-1903 幕末-明治時代の大名,華族
天保(てんぽう)7年5月3日生まれ。肥後(熊本県)人吉藩主相良頼之(さがら-よりゆき)の次男。池田政善(まさよし)の養子。弘化(こうか)4年備中(びっちゅう)岡山新田(鴨方(かもがた))藩主池田家9代。慶応4年宗家藩主池田茂政(もちまさ)の陣代として幕府側の姫路藩追討。茂政の跡をつぎ,備前岡山藩主池田家10代となり,政詮(まさのり)から章政に改名した。明治11年第十五国立銀行頭取。侯爵貴族院議員。明治36年6月5日死去。68歳。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「池田章政」の意味・わかりやすい解説

池田章政
いけだあきまさ

[生]天保7(1836).5.3. 肥後,人吉
[没]1903.6.5. 岡山
江戸時代末期の岡山藩主。侯爵。相良頼之の次男。備前支藩鴨方藩主の養嗣子となり,慶応4 (1868) 年1月,本藩藩主の代理として藩兵を統率し新政府に加わる。同年3月,茂政の跡を継いで藩主となる。閏4月,議政官,のち刑法官知事。

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世界大百科事典(旧版)内の池田章政の言及

【岡山藩】より

…備前国(岡山県)岡山に藩庁を置いた外様大藩。歴代藩主は池田氏で,備前一国28万9000石と備中領分2万6000石を合わせて31万5000石を領知した。戦国大名宇喜多秀家が関ヶ原の戦で没落し,代わって入城した小早川秀秋も,1602年(慶長7)卒去し無嗣のため断絶した。宇喜多・小早川両氏とも備前・美作両国などで約50万石を領したが,その末路は悲運であった。03年岡山城主になった池田忠継(姫路城主池田輝政の次男)以降,12代268年にわたって池田氏による領知が廃藩までつづいた。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」