汪輝祖(読み)おうきそ(英語表記)Wang Hui-zu; Wang Hui-tsu

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「汪輝祖」の意味・わかりやすい解説

汪輝祖
おうきそ
Wang Hui-zu; Wang Hui-tsu

[生]雍正8(1730)
[没]嘉慶12(1807).蕭山
中国,清朝中期の地方官で歴史学者。浙江省蕭山県の人。字は龍荘。 11歳で父の汪楷を失い,17歳で秀才になり,乾隆 17 (1752) 年に義父王宗閔の幕友となった。同 40年に進士に合格して湖南省寧遠の知県に任じられたが,幕友時代の経験を生かして手腕を発揮した。同 55年,道州知州のとき妥協を許さぬその態度が恨まれて,職を辞し故郷に帰って学問に専念した。その著作には官僚の経験に基づいた『佐治薬言』『学治憶説』がある。また正史に対する考証,特に人名に関する研究は『史姓韻編』 (64巻) を代表に『九史同姓名略』 (72巻) ,『二十四史同姓名録』 (160巻) ,『遼金元三史同名録』 (40巻) などがある。晩年自伝『病榻夢痕録』や教訓的な『双節堂庸訓』を著わしている。

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