ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
オスマン帝国のスルタン、アフメト3世(在位1703~30)治世下、とくに1718年から30年に至る対外的に平和な時期に、西欧から芸術、文学、科学などが導入され、イスラム文化とヨーロッパ文化の接触による華麗な新文化を生み出した時代をいう。この時期に、かつてトルコからヨーロッパに伝播(でんぱ)したチューリップが再輸入され、王宮庭園をはじめ全国的に栽培され流行したことから、この名前がつけられた。大宰相イブラヒム・パシャはフランス宮廷との交流を図り、また学者や詩人を援助し、保護した。1727年、トルコ語による印刷所が開設され、辞書、歴史書などが出版された。ヨーロッパから招聘(しょうへい)された建築家によってロココ風の宮殿、庭園などがつくられ、そこではスルタンたちが歓楽を極めた。しかし、浪費によるインフレは民衆の不満を増大させ、30年、パトロナ・ハリルの反乱が勃発(ぼっぱつ)した。その結果、イブラヒム・パシャは処刑され、トルコにおける最初の西欧化の試みは失敗した。
[永田雄三]
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
12/21 デジタル大辞泉を更新
12/21 デジタル大辞泉プラスを更新
12/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/28 デジタル大辞泉プラスを更新
10/28 デジタル大辞泉を更新
10/27 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新