白尾斎蔵(読み)しらお・さいぞう

朝日日本歴史人物事典 「白尾斎蔵」の解説

白尾斎蔵

没年:文政4.2.15(1821.3.18)
生年:宝暦12.8.5(1762.9.22)
江戸中期の国学者。薩摩(鹿児島)藩士。薩摩国岩崎村(鹿児島県岩崎)に生まれる。本多休左衛門親昌の次男。名は親白。通称初め助之進のちに斎蔵。号は親麿,国柱,鼓泉,端楓。寛政2(1790)年,29歳のとき薩摩藩士白尾国倫の養子となる。のち江戸藩邸に召され,藩主島津重豪のもとで記録奉行,物頭などを勤め,本草学に造詣の深い藩主の命で,近臣の博物学者曾槃と共に江戸期を代表する物産学図鑑である『成形図説』全100巻の編纂にしたがった。そのうち30巻は文化1(1804)年に刊行された。江戸で塙保己一,村田春海に師事し,本居宣長を慕ったが,面談することは得なかったらしい。

(飯倉洋一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報