ウェーバー(英語表記)Max Weber

精選版 日本国語大辞典 「ウェーバー」の意味・読み・例文・類語

ウェーバー

[一] (Carl Maria von Weber カール=マリア=フォン━) ドイツの作曲家。「魔弾の射手」「オベロン」などのオペラを書き、ドイツロマン派国民歌劇を確立。ほかに「舞踏への勧誘」などがある。(一七八六‐一八二六
[二] (Ernst Heinrich Weber エルンスト=ハインリヒ━) ドイツの生理学者。人間の感覚と刺激との相関関係を研究し、精神物理学を開拓。(一七九五‐一八七八)→ウェーバーの法則
[三] (Wilhelm Eduard Weber ウイルヘルム=エドアルト━) ドイツの物理学者。(二)の弟。ガウスとの共同研究により電磁気理論を開拓。(一八〇四‐九一
[四] (Max Weber マックス━) ドイツの社会学者、経済史学者。リッケルトの影響下に価値自由の精神と理念型操作に基づく社会科学の方法論を確立。また、宗教現象の社会学的研究、政治権力の比較制度的研究の分野を開拓。著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」「職業としての政治」など。(一八六四‐一九二〇

ウェーバー

〘名〙 (weber) 磁束の単位。一ウェーバーは一ボルト・秒と等しい。名称はW=E=ウェーバーから。記号は Wb

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デジタル大辞泉 「ウェーバー」の意味・読み・例文・類語

ウェーバー(Weber)

(Ernst Heinrich ~)[1795~1878]ドイツの生理・解剖学者。皮膚感覚などを研究し、ウェーバーの法則を発見。
(Wilhelm Eduard ~)[1804~1891]ドイツの物理学者。の弟。ガウスと共同研究し、地磁気を計測。電磁気理論を開拓。

ウェーバー(Carl Maria von Weber)

[1786~1826]ドイツの作曲家。ドイツの国民的ロマン主義オペラを確立。指揮棒を使って指揮をした最初の一人。代表作「魔弾の射手」など。

ウェーバー(Max Weber)

[1864~1920]ドイツの社会学者・経済史家。近代社会科学方法論の確立者であるとともに、宗教と社会との関係を論じた第一人者。特に著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」は有名。思想家アルフレッド=ウェーバーはその弟。

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改訂新版 世界大百科事典 「ウェーバー」の意味・わかりやすい解説

ウェーバー
Max Weber
生没年:1864-1920

西欧文化と近代社会を貫く原理を〈合理主義Rationalismus〉に求め,その系譜,本質,帰結を解明したドイツの思想家。エルフルトに生まれ,まもなくベルリンに移った彼は,国民自由党の代議士として活躍した父,敬虔なプロテスタントで教育熱心な母の長男として,経済的にも文化的にも恵まれた家庭に育った。ハイデルベルク大学ベルリン大学ほかで学び,1889年中世商事会社に関する法制史的研究でベルリン大学において学位を得たのち,社会政策学にしだいに関心を移した。94年,30歳でフライブルク大学国民経済学の教授になったが,97年,突如神経疾患に陥った。1903年以降は在野の研究者として《社会科学・社会政策雑誌Archiv für Sozialwissenschaft und Sozialpolitik》(1904創刊)の編集やドイツ社会学会の創設に尽力する。また,彼はハイデルベルクに住み,若い知識人サークルの中心的人物としても活躍した。18年,ドイツ敗戦後ふたたびウィーン大学,そしてミュンヘン大学で教鞭をとりはじめた彼は,パリ講和会議に出席したり,青年のための講演を行ったり,往年の活動力を回復したが,20年肺炎のためミュンヘンで急死する。業績の大半は生前完成されることなく,〈偉大なトルソ〉として後世に残された。

 しかし,ウェーバーが生涯にわたってとり組んだ問題の領域は広大で,その学問的議論は徹底していた。彼の学問的展開は,法制史から経済史,社会科学の一般方法論,さらに宗教社会学に関する一連の準備的労作から体系的な社会学の構築へと跡づけることができる。その過程で,マルクス主義への深い認識とリッケルトの哲学,ロッシャーやクニースの経済史など当代のドイツの諸学の批判的検討をふまえつつ,〈観念論と科学的方法〉〈経済と宗教〉〈マルクス主義とナショナリズム〉〈政治への関与と社会科学の客観性〉等々,世紀末から20世紀にかけての社会科学に内在するほとんどすべての問題を顕在化させ,認識すべき論点として提示した。しかも,これら多岐にわたる知的関心のすべては,より根本的で中心的な大問題の解明と結ばれていて,それらをある種の総合にまで深めようとする〈英雄的〉な努力で一貫していた。それは,現代ヨーロッパ世界の根底にある公的活動の全局面における官僚制化の傾向と〈精神なき専門人〉による社会の現出,そしてその傾向が表示し,かつ西ヨーロッパ社会を他の文明社会から区別してきた〈合理化〉の問題であった。

 ウェーバーの生涯は精神の病を画期に通常二分されるが,合理化への関心が前面にたちあらわれるのは,1903年にはじまる〈創造の新しい局面〉以降である。闘病生活後,彼が最初に従事したのは19世紀的科学観の再検討である(《社会科学および社会政策的認識の客観性》1904,《職業としての学問》1919)。科学は人生の意味や価値を教えてはくれない。価値(当為)を支えているのは人間であって科学ではない。しかし,科学と価値は無縁ではなく,むしろ政治的・社会的信念は社会科学の領域での創造にとって不可欠なものである。〈道徳的無関心の態度は,科学的客観性とはなんの関係もない〉ということをウェーバーは力説している。科学者にとって大切なのは己の価値を知り制御すること,すなわち〈価値自由Wertfreiheit〉の態度である(価値自由論は特に社会政策学会で論争の的になり価値判断論争をひきおこした)。価値は,科学によって根拠づけられえないが,科学の認識対象となりうる。社会現象は,関与する個々の人間の行為に還元されて〈説明〉される。しかもその際,行為はエートスと呼ばれる価値的態度と関係づけられ〈理解〉されねばならない。価値判断に関するいかなる絶対的なものも認めず,しかも,さまざまな〈価値〉と複雑に結びついている現実の歴史的・社会的現象を分析し理解する手続きとして,ウェーバーは厳密に純粋理論的に構成された概念(理念型)の設定とそれとのたえざる比較という方法を打ち立て,〈理解社会学〉を提唱した。19世紀的合理主義の枠内では対立する二つの方法,すなわち説明と理解とは,理解社会学の立場に立つと,補完するものとして接合されるべきものとなる。(《経済と社会》)。

 彼は新しい科学観をもって経済の19世紀的把握に切りこむ。彼にとって経済は近代西欧を支配する最大の力である。この力をマルクスにならい〈資本主義〉と名づけ,まったく新しい視角からその本質を解明したのが《プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神》(1904-05)である。この記念碑的論文で彼は,資本主義のエートスを〈職業人Berufsmensch〉の倫理に求め,それがプロテスタンティズムの〈世俗内禁欲innerweltliche Askese〉に由来することをつきとめる。宗教が資本主義を成立させたというこの見解は,宗教を迷信や呪術と同一視する19世紀的合理主義にとって頂門の一針であった。宗教は合理化の強力な推進力である。職業人が作りあげるのは〈合理的経済〉である。ここには資本主義ばかりではなく社会主義も含まれる。大切なのは二体制間の相違より経済の合理化という共通性である。

 宗教と経済に新しい見方を開いた彼は,それ以降,中国,インド,古代ユダヤの比較文化的研究を続けた。その成果である《儒教と道教》《ヒンドゥー教と仏教》《古代ユダヤ教》は《世界宗教の経済倫理》(1915-20)としてまとめられ,《宗教社会学論集》に収められている。政治もまた合理化の推進力である。このことは,若いころから終始一貫して熱烈なナショナリストであった彼には自明の前提であった。彼は政治体制のエートスに注目して,合法性とカリスマ性という対立を引き出す。合理化の進展にともない〈官僚制〉という合法的支配類型が肥大化し,社会と人間をすみずみまで管理しつくす。官僚制の圧制に抗して人間の自発性を確保する視点から,彼は合法性とカリスマ性をあわせもつ〈人民投票指導者民主制plebiszitäre Führerdemokratie〉の現代的意義を強調した(《職業としての政治》1919)。伝記に妻マリアンネ・ウェーバー著《マックス・ウェーバー》がある。

日本ではウェーバーはマルクスに対する平衡力と位置づけられ,〈ウェーバーとマルクス〉という独特の視角から問題にされてきた。戦前のマルクス主義が学問の領域で,普遍的歴史法則と絶対知の発見という教義体系を作り出す方向へと強く作用したのに対して,それとの鋭い内的な緊張関係を通して,ウェーバーに学びつつ社会的経験の意識化のあり方と科学の〈仮説性〉とを結合させ,科学的記述と〈価値〉を峻別することによって,戦中から戦後にかけて日本の社会科学を建設した人々が存在する。政治学の丸山真男,経済史の大塚久雄,法社会学の川島武宜といった人々がその代表的な例で,おのおのの個別研究の対象と具体的な成果の相違を超えて共通するのは,日本の近代社会における科学的認識とその方法的自覚の重要性についての強烈な意識であったといえよう。〈理念型〉〈価値自由〉〈実践意欲の禁欲〉に深く学びながら,いずれも〈ウェーバー研究〉という方向をとらず,日本社会の実証的,内在的〈批判〉や,その〈鏡〉としての西洋経済史研究を試み,経験科学が思想形成力の拠点となりうることを示した。

 経済が高度成長をとげた60年代は,学問の技術化・専門化が急激に進行した。社会諸科学の極端な細分化と合理化は,現代における人間と社会の危機の一端を示すものといえよう。ウェーバーの〈合理化〉論の再検討は,その意味で,現代社会科学の緊急の課題であるといえる。
執筆者:

ウェーバー
Carl Maria von Weber
生没年:1786-1826

ドイツの作曲家。幼少より父の率いる巡業劇団とともにドイツ,オーストリアの全域にわたる旅に出,その旅先の各地で音楽教育を受け,ザルツブルクではM.ハイドン,ウィーンではG.J.フォーグラーに師事した。17歳で一本立ちしてからは,ブロツワフ,プラハ,ドレスデンの各歌劇場の指揮者を歴任したが,その活動の場の中心はつねに歌劇場であった。ウェーバーは本質的に劇音楽家だといわれるが,こうした劇音楽家となりえたのも,旅を通じ若くして人生のさまざまな局面に触れ,さらにつねに舞台と接触していたことが,最大の原因といえよう。

 ウェーバーはさまざまの種類の音楽を書いているが,そのすべての領域で同じような才能を発揮しているとはいえない。頂点に位置しているのは歌劇であり,宗教音楽,室内楽,歌曲などは今日ほとんど顧みられることもない。歌劇の創作は10代のはじめに開始され,その数は10曲にのぼるが,代表作は《魔弾の射手》(1820),《オイリアンテ》(1823),《オベロン》(1826)の3曲であろう。とくに《魔弾の射手》はあらゆる歌劇の中で最もドイツ的ともいわれ,ドイツ・ロマン派歌劇を確立した画期的な作品である。

 ウェーバーの音楽における〈ロマン的なもの〉は,ノバーリスアイヒェンドルフ,あるいはシューベルトシューマンのものと同質ではない。それは内面化,沈潜とは無縁であり,また根底から湧出する神秘的なものでもない。なによりも劇的効果に基づいたものである。この要素は,もちろん劇音楽において十分に発揮されているが,器楽をも支配している。器楽の中心を占めているのは,彼が当時最大のピアノ演奏家であっただけに,変奏曲,ソナタ,ロンド,ポロネーズ,協奏曲などのピアノ音楽であるが,これらの作品に目だっている特色は,《舞踏への勧誘》(1819)にみられるような劇場的効果に基づいた〈光彩を放つような性格〉〈技巧の要素〉である。
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ウェーバー
Wilhelm Eduard Weber
生没年:1804-91

ドイツの物理学者。ウィッテンベルクの生れ。1820年からハレ大学で数学を学び,ライプチヒ大学教授の兄エルンストErnst Heinrich Weberとの共著《実験波動学》(1825)を皮切りに音響学に関する論文を次々に発表,それらが認められ28年ハレ大学員外教授,31年にはC.F.ガウスの推薦でゲッティンゲン大学物理学教授に任命された。後に地磁気に関してガウスと共同研究を展開し,ゲッティンゲンに地磁気観測所を設立したのをはじめ国際磁気連盟を創設,《磁気連盟観測結果》全6巻を公刊した。また33年以後ガウスとともに電磁式電信機を組み立て,9000フィート離れた送・受信実験を行った。電磁気学に関しては,電磁誘導の現象も説明できる形式で電流間の相互作用の法則(ウェーバーの法則)を発表(1846)。またR.H.コールラウシュとともに電流の強さの静電単位と電磁単位との比が真空中の光速度とほぼ一致することを実験で証明(1856),電磁気諸量の絶対単位系の導入を提唱した。なお,彼は37年にはハノーファーの憲法廃止に対しての抗議声明に署名したため,他の6名の教授とともにゲッティンゲン大学を追われ,一時ライプチヒ大学教授であったが,49年に復職した。
執筆者:

ウェーバー
weber

国際単位系(SI)における磁束の単位。ドイツの物理学者W.E.ウェーバーにちなんで名付けられ,記号はWb。ウェーバーは,1回巻きの閉回路と鎖交する磁束が一様に減少して,1秒後に消滅するときに,その閉回路に1Vの起電力を生じさせる磁束と定義される。したがって1Wb=1V・s。また磁束のCGS電磁単位マクスウェル(記号Mx)の108倍に相当する。
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百科事典マイペディア 「ウェーバー」の意味・わかりやすい解説

ウェーバー

ドイツの社会学者,経済史学者。学問的方法論ではリッケルトの影響を受け,研究は法学,歴史学,経済学の多方面に及ぶ。近代資本主義を歴史的に分析し,その基調として〈理念型〉概念構成を用い,社会科学的認識からの価値判断の排除を主張。近代資本主義の合理的精神とピューリタニズムの歴史的結合を解明。また諸宗教の経済倫理の研究を通じて東西文化の比較研究に貢献。著書《経済と社会》《プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神》《社会科学方法論》等。
→関連項目アロンウィーゼウィットフォーゲルウェーバーエートス大塚久雄カーディーカリスマカルビニズムカントロビチギデンス禁欲社会学シュッツシュモラー政治学政治的責任高田保馬伝統的支配ナイトバーガーパーソンズプロテスタンティズム法社会学ミルズ了解脇圭平

ウェーバー

ドイツの作曲家,ピアノ奏者,指揮者。ホルシュタイン地方オイティンに生まれる。父はモーツァルトの妻コンスタンツェの叔父。幼少より父の率いる巡回歌劇団とともにドイツ,オーストリア各地を旅し,M.ハイドン(F.J.ハイドン参照),G.J.フォーグラー〔1749-1814〕などから音楽を学ぶ。10代はじめからピアノ曲やオペラの作曲を始め,1804年フォーグラーの推薦により17歳でブレスラウ(現ブロツワフ)の歌劇場の指揮者兼オペラ作曲家に就任。プラハ市立劇場を経て1817年ドレスデン宮廷歌劇場(現ドレスデン国立歌劇場)の指揮者となり,指揮者として名声を高める。1821年ベルリンでオペラ《魔弾の射手》(1817年−1821年)を発表。初演から圧倒的な成功をおさめたこの作品は,ドイツの題材をドイツ語で歌った真の国民オペラとして不朽の名声を得た。《オイリアンテ》(1822年−1823年)に続いて,最後のオペラ《オベロン》(1825年−1826年)を病躯(びょうく)をおして完成させるが,その初演地ロンドンに39歳で客死。モーツァルト,ベートーベンの業績を継承しドイツ・ロマン派オペラの誕生を告げたこれらの作品は,R.ワーグナーらに大きな影響を与えた。オペラのほか作品は多ジャンルにわたり,ピアノや管楽器のための多くの協奏曲,《クラリネット五重奏曲》(1815年)などの室内楽曲,のちにベルリオーズによって管弦楽化された《舞踏への勧誘》(1819年)をはじめとするピアノ独奏曲などがある。→ファゴット
→関連項目オベロンフォーキン

ウェーバー

ドイツの物理学者。1831年ゲッティンゲン大学教授。1837年ゲッティンゲン七教授事件で免職,1849年復職。電磁気理論の開拓者の一人で,運動荷電粒子の電気力学,分子電流による反磁性の説明,電流の強さの静電単位と電磁単位の比が真空中の光速度にほぼ等しいことの実験的証明,電磁気量の絶対単位系の導入など多くの業績があり,電信機,電流計なども考案した。磁束の単位ウェーバーは彼に由来。生理学者のE.H.ウェーバーはその兄。
→関連項目ガウスゲッティンゲン大学

ウェーバー

ドイツの生理学者。1818年ライプチヒ大学教授となり,解剖学,生理学を講じた。末弟E.F.ウェーバーと共同で脈拍の波動の速さを計測し,また皮膚感覚の研究からウェーバーの法則(ウェーバー=フェヒナーの法則)を発見した。魚類の聴覚器官であるウェーバー器官の発見者としても知られる。
→関連項目ウェーバー

ウェーバー

ドイツの社会学者,経済学者。M.ウェーバーの弟。工業立地学,文化社会学の創始者。ナチスにより追放。著書《文化社会学としての文化史》。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウェーバー」の意味・わかりやすい解説

ウェーバー
Weber, Max

[生]1864.4.21. エルフルト
[没]1920.6.14. ミュンヘン
ドイツの社会学者,経済学者。ハイデルベルク大学,ベルリン大学で学び,ベルリン大学員外教授を経てフライブルク,ハイデルベルク,ミュンヘンの各大学教授を歴任。研究領域はきわめて多岐にわたり,しかもその各領域において傑出した不滅の業績を残している。彼の研究のライトモチーフは,世界史上独自の文化意義をもつ近代ヨーロッパ合理主義の普遍的意義を発生史的に明らかにし,それによって現実のもつ文化意義を批判的に解き明かすことであった。しかも見逃せないのは,この遠大な問題提出の拠点が,なによりもビスマルク体制崩壊期のドイツのきびしい政治情勢のなかに据えられていたことである。著名な彼の方法論研究もまた,「ドイツ国民権力国家」構築,ドイツ資本主義の市民化=国民化という利害関心と深くからまっている。『経済と社会』 Wirtschaft und Gesellschaft (1921~22) ,『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 Die protestantische Ethik und der Geist des Kapitalismus (04~05) ,『一般社会経済史要論』 Abriß der unversalen Sozial und Wirtschaftsgeschichte (23) をはじめ膨大な著書があり,今日にもなお非常な影響を及ぼしている。また彼自身多くの論文を発表した『社会科学および社会政策雑誌』 Archiv für Sozialwissenschaft und Sozialpolitikの編集者としても著名。

ウェーバー
Weber, Wilhelm Eduard

[生]1804.10.24. ウィッテンベルク
[没]1891.6.24. ゲッティンゲン
ドイツの物理学者。兄のエルンスト,弟のエドゥアルドはそれぞれすぐれた解剖学者,生理学者。ハレ大学卒業後,同大学助教授 (1828) を経て,ゲッティンゲン大学教授 (31) 。数学者 C.F.ガウスとともに地磁気の研究を行う。 1837年他の6人の大学教授とともに国王に抗議したことにより職を追われる。 43年にライプチヒ大学教授。のちゲッティンゲン大学教授に復帰 (48) ,天文台台長兼任。 46年運動荷電粒子に対する電気力学を展開し,電流間の相互作用を求めた。 52年分子電流の仮説により反磁性を説明。 56年 F.コールラウシュとともに電流の静電単位と電磁単位の比がほぼ光速度に等しいことを実証した。磁束の実用単位「ウェーバ」は彼の名にちなんでいる。

ウェーバー
Weber, Albrecht Friedrich

[生]1825.2.17. ブレスラウ(現ポーランド,ウロツワフ)
[没]1901.11.30. ベルリン
ドイツのインド学者。特にベーダ学にすぐれ,サンスクリット文献学研究に精密な方法論を開発した。『白ヤジュル・ベーダ』 The White Yajurveda in three partsの校訂版および翻訳 (1852~59) ,『黒ヤジュル・ベーダ』 Die Taittirīya-Saṃhitāの出版 (71~72) を行なった。またベルリン王室図書館のサンスクリット文献目録を編集 (53~92) 。その他,ジャイナ教の研究などにもすぐれた業績を残し,門下にヤコービ,ロイマンら多くの俊秀を出した。主著『インド研究』 Indische Studien (18巻,50~98) ,『インド文学史』 The History of Indian Literatureなど多数。

ウェーバー
Weber, Alfred

[生]1868.7.30. エルフルト
[没]1958.5.2. ハイデルベルク
ドイツの経済学者,社会学者。ベルリン大学で法学,経済学を学び,同大学講師,プラハ大学教授 (1904) を経て 1907年ハイデルベルク大学教授。歴史学派の影響のもとに経済地理学,特に産業立地論を研究,のちに文化社会学を創唱した。彼は文化発展と文明過程とを区別し,歴史哲学や文明史の考察で独特の見解を提唱したがナチス治下ではそれは受入れられず強制停職処分 (33~45) にあった。主著『産業立地論』 Industrielle Standortlehre (19) ,『文化社会学としての文化史』 Kulturgeschichte als Kultursoziologie (35) 。

ウェーバー
Weber, Otto

[生]1902.6.4. ケルン
[没]1966
ドイツの改革派神学者。ボン,テュービンゲンの各大学卒業後,ゲッティンゲン大学教授 (1934) 。その研究領域は,聖書神学,組織神学にわたる。 K.バルトの強い影響を受け,その膨大な『教会教義学』の紹介的報告書を出版。またカルバンの『キリスト教綱要』を独訳した。著書は『カール・バルト教会教義学概説』 Karl Barths kirchliche Dogmatik (50) のほか,"Gottesdienst und evangelische Verkündigung" (33) ,"Bibelkunde des AT" (35) ,"Versammelte Gemeinde" (49) ,"Grundlagen der Dogmatik" (I.55,II.62) など。

ウェーバー
Weber, Carl Maria Friedrich Ernst von

[生]1786.11.18. オイチン
[没]1826.6.5. ロンドン
ドイツロマン派の扉を開いた作曲家。モーツァルトと義理の従兄弟。幼少の頃より舞台監督,指揮者兼劇団マネージャーであった父に従って各地をめぐり,1798年から正式に作曲を学ぶ。 1804年ブレスラウ,13年プラハ,17年ドレスデンで劇場指揮者をつとめるかたわら作曲をし,またピアニストとして名声を得た。ドレスデンでは,民話をもとにロマン的な管弦楽の色彩を駆使した不滅のオペラ『魔弾の射手』を完成,21年ベルリンでの初演以来大成功を収め,その後病におかされながら『オイリアンテ』 (1823) ,『オベロン』 (26) を上演。その他ピアノ曲,すぐれたホルンやクラリネット用器楽曲など多数を作曲した。

ウェーバー
Weber, Eduardo Friedrich Wilhelm

[生]1806.3.10. ウィッテンベルク
[没]1871.5.18. ライプチヒ
ドイツの生理学者。ハレ大学に学び,卒業後しばらく開業したのち,ライプチヒ大学解剖学教授。神経系の生理に関する研究で有名。 1825年,兄のエルンストとともに脈拍波動の速度を決定。 45年,脳の一部に電気的刺激を加えると心臓の動きが停止することを発見。これは,神経系の作用によって自律的運動が阻害される現象の観察として最初のものであった。兄の物理学者ウィルヘルムと共同で運動と運動力に関する研究をし,共著がある。

ウェーバー
Weber, Ernst Heinrich

[生]1795.6.24. ウィッテンベルク
[没]1878.1.26. ライプチヒ
ドイツの解剖学者,生理学者。ライプチヒ大学教授。触定位,刺激間の丁度可知差異,ウェーバーの法則に関する知見は,精神物理学の基盤となった。主著"Der Tastsinn und das Gemeingefühl" (1851) 。 (→弁別 )

ウェーバー
Weber, Max

[生]1881.4.18. ビャウィストク
[没]1961.10.4. ニューヨーク
アメリカの画家,版画家。 1891年両親とともにアメリカに渡り,98年から2年間ニューヨークのプラット・インスティテュートに学ぶ。 1905年パリでマチスの指導を受ける。フォービスムの影響を受けた絵を描き,のち立体派の手法も取入れた。教育家としても知られる。

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大学事典 「ウェーバー」の解説

ウェーバー
Max

ドイツの社会学者・経済学者。エアフルトに生まれ,ハイデルベルク大学,ベルリン大学(現,ベルリン・フンボルト大学),ゲッティンゲン大学で法律学,経済学,歴史学等を学ぶ。1889年に「中世商事会社史」で博士の学位を取得。1894年フライブルク大学教授,97年ハイデルベルク大学教授となるが,1903年に病気のため大学を退く。1919年にミュンヘン大学教授に就任するが,翌年死去。ウェーバーの研究は大きく二つに分かれる。一つは宗教社会学の研究で,『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1905年)に代表され,資本主義の精神はカルヴィニズムにより禁欲的プロテスタンティズムの宗教倫理に遡ると考えた。もう一つは社会集団の分析に焦点を当てた研究であり,『経済と社会』(遺稿)にまとめられている。この中の「支配の社会学」では,大学の卒業証書が特権層の形成を助長しているとした。また1917年の講演をまとめた『職業としての学問』では,混沌の時代の中で新しい生き方を求める若者に向けて大学論を展開し,ドイツの大学は学問的な訓練を行うべきと主張した。
著者: 田中達也

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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者) 「ウェーバー」の解説

ウェーバー

ドイツの作曲家、ピアニスト、音楽著述家。巡業歌劇団の家に生まれ、ハイドン、モーツァルト、J.A.ヒラー、パイジェッロなどのジングシュピールに早くから親しんだ。父は、兄の娘コンスタンツェが嫁いでモーツァ ...続き

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

単位名がわかる辞典 「ウェーバー」の解説

ウェーバー【weber】

磁束の国際単位。記号は「Wb」。1Wbは1回巻きの閉じたコイルを通る磁束が1秒間に一様に減少して消えたとき、そのコイルの両端に1Vの起電力を生じさせる磁束量。◇名称は、ドイツの物理学者ウェーバーにちなむ。

出典 講談社単位名がわかる辞典について 情報

367日誕生日大事典 「ウェーバー」の解説

ウェーバー

生年月日:1868年7月30日
ドイツの経済地理学者
1958年没

ウェーバー

生年月日:1806年3月10日
ドイツの生理学者
1871年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のウェーバーの言及

【ドイツ音楽】より

…しかし,われわれはウィーン古典派の純粋器楽のうちに,シュッツやバッハが開拓したドイツ的音楽語法が生きていること,そしてまたこのドイツ音楽とドイツ語の深い内的結びつきが,シューベルトに始まり,ロマン派の時代に展開するドイツ・リートの世界を支えていることを忘れてはならない。さらに従来最もおくれていた分野であるオペラが,モーツァルトのイタリア・オペラやドイツ語のジングシュピールにおいて開花し,やがてウェーバーのロマン主義的ドイツ国民オペラの確立を促し,ついには19世紀後半のR.ワーグナーの楽劇にまで達するのを見る。他方R.シューマンメンデルスゾーンブラームスR.シュトラウスブルックナーマーラーらの音楽が,それぞれの個性をもちながらも,それらがドイツ音楽であるのは,それらの根底に,中世のゲルマン精神やドイツ民謡の世界への憧憬をひそませるドイツ・ロマン主義が支配しているからである。…

【魔弾の射手】より

C.M.vonウェーバーが1820年に作曲した全3幕のオペラ。台本はキントJohann Friedrich Kind(1768‐1843)による。…

【ロマン派音楽】より

…世紀後半には他の諸国の貢献も強まる。おもな大作曲家を挙げれば,ベートーベンとシューベルトを視野におさめながら,C.M.vonウェーバー,メンデルスゾーン,シューマン,ショパン,ベルリオーズ,リスト,R.ワーグナーらが代表的存在である。ベートーベンとシューベルトはロマン的要素を有しながら,全体としては古典派に入れられる。…

【エートス】より

…冷静さと情熱,理性と情念,合理と非合理,といった異質な要素の何らかの結合によって生み出された行為への一定の傾向性。エートスを,人間と社会の相互規定性をとらえる戦略概念として最初に用いたのはアリストテレスであり,社会認識の基軸として再びとらえたのがM.ウェーバーである。ウェーバーによれば,この行為性向は次の三つの性質をあわせもつ。…

【階級】より

…しかし新中間層の位置づけについては諸説まちまちで,新中間層は本質的には労働者であるとする見解,新中間層は本質的には支配階級の補助者であるとする見解,新中間層はもともと支配階級と労働者という二つの異質な部分に分解するはずのものだという見解,新中間層はブルジョアジーとプロレタリアートの懸橋として両者の対立をやわらげる安定勢力であるとする見解,などが併存しているのが実情である。
[多元的階級論]
 M.ウェーバーは,サン・シモンやマルクスのような19世紀の諸学説の一元的指標による階級区分に代えて,複合的指標による多元的階級区分を提起した。彼はその大著《経済と社会》(1921‐22)の中で,社会の不平等状態に関する区分として階級と身分の二つをあげ,さらに階級に関する区分を二つに分けて(1)財産の相違による区分(財産階級),(2)市場利用の機会による区分(営利階級),とし,また身分に関する区分を三つに分けて(1)生活様式による区分,(2)教育による区分,(3)職業の威信による区分,とした。…

【家父長制】より

…(2)政治的支配としての家父長制 家父長制家族は,一方では,〈父と子〉の特殊なあり方を内包することによって,政治的支配のための正当性原理をつくりだす。〈家族国家〉理念とよばれるものがその典型である(M.ウェーバーはとくに(1)と区別して〈家産制Patrimonialismus〉とよぶ)。家父長制家族における結合の根本は,血縁性ではなく,家父長権patria potestasという権力である。…

【神】より

…この考えは,神をその形態性や属性によって規定しようとする行き方に対して,人間の心理的な感受性や主体的な意識にもとづいて神的存在の象徴性や実在性を証明しようとするのである。最後に第4として,神的存在を高次の神と低次の精霊の2種に分類し,その両者と人間とのダイナミックな関係に照準をあてて神信仰のメカニズムを類型化する試みが挙げられる(M.ウェーバー)。すなわち前者は,神の前に人間が拝跪して礼拝する〈神奉仕Gottes‐dienst〉の型であり,後者は人間が精霊に呼びかけてその加護を要求する〈精霊強制Geistes‐zwang〉の型である。…

【カリスマ】より

…もともとカリスマは,宇宙に遍在する神秘的・超自然的な非人格的威力を指すマナmanaというメラネシア原住民の観念や,É.デュルケーム以来の宗教学的な〈聖〉の概念とも,内容的に共通する点の多い概念であった。それに対して,カリスマという用語を宗教に限定せずより広い意味で使用し,支配の正当性の一類型を説明する分析概念として理論化したのはM.ウェーバーである。ウェーバーは合法的支配,伝統的支配に対比される第三の支配の型としてカリスマ的支配という概念を提起した。…

【官僚制】より

…ただ,それが好ましからぬことばとして用いられている点には変りがなかった。だが,このような用語法はM.ウェーバーの出現で一変する。はじめに提示した理解の仕方は,基本的にこのウェーバーの官僚制論に負っているのである。…

【禁欲】より

…荒野をさまようイエスやシナイ山上のモーセ,インドのヨーガ行者や中国・日本の山中修行者たちなど,その例は多い。ついで合理的な生活行動との関係でいえば,M.ウェーバーの禁欲論が知られている。彼によればヨーロッパの近代資本主義は,世俗的な経済営利活動が禁欲倫理(プロテスタンティズム)の洗礼をうけてできあがったものだという。…

【経済史学】より

…経済史の研究は,多かれ少なかれ,このマルクスの経済学(〈経済学批判〉)と唯物史観の影響をうけ,またこれとの緊張意識のなかで,本格的にすすめられてきた。
[ウェーバー]
 マルクスと対比される社会科学の巨匠M.ウェーバーも,世界史の流れのなかに,事実上マルクスと近似した〈古代オリエントの純粋家産制国家→古典古代の奴隷制都市国家→中世の封建制国家→近代西欧の合理的国家(資本主義)〉という発展の系統を指摘した。ウェーバーは,〈理念と利害状況の社会学〉といわれる立場にふさわしく,経済社会のこの合理化過程を,人間類型の問題を含めて複眼的に究明した。…

【経済と社会】より

…《宗教社会学論集Gesammelte Aufsätze zur Religionssoziologie》とならぶM.ウェーバーの主著の一つ。彼が編集した《社会経済学講座Grundriss der Sozialökonomik》の基礎理論をなす1巻として構想されたが,生前に完成せず,遺稿が彼のプランに即して整理・編集され,1922年にようやく公刊された。…

【交換】より

…ひとつは上記のような集団間の交換に着目し,交換は人間の集団(共同体あるいは種族)が他の集団と関係をとり結ぶとき,利己心あるいは経済計算に導かれてつくりあげる関係の一様式であるととらえる。この立場を代表するのはM.ウェーバーであり,表現は異なるがK.マルクスが商品の交換過程を論じるさいに示している理解も同趣旨のものである(《資本論》1編2章)。いまひとつの立場はA.スミスによって代表される。…

【合理化】より

…西欧世界にはじめて出現したこの歴史的趨勢は近代社会の本質を形作るばかりではなく,今や人類全体の共通の運命となる。こうした用法を確立したのがM.ウェーバーである。彼によれば合理化が出現する以前の人間は〈呪術〉を用いて周囲の世界に適応していた。…

【支配】より

…こうした自発性は,慣習,利害関心,あるいは何らかの信念に基づくのが普通であるが,これらの動機もそれだけでは支配の安定した基礎にはなりえない。M.ウェーバーによれば,〈むしろ,すべての支配は,その正当性に対する信仰を喚起し,それを育成しようと努めている〉のである。こうした支配の正当性の根拠として,ウェーバーは,伝統的支配,カリスマ的支配,合法的支配の3類型をあげた。…

【資本主義】より

…経済的合理主義の貫徹が必要となる。M.ウェーバーは,近代資本主義の特徴としてこの合理主義的経営の側面を強調した。彼によると,資本主義の経営組織の特色は,強制でない自由な労働,家計と経営の分離による経営の独立性,合理的簿記による精密な資本計算,経営者の指揮・監督のもとに分業化された労働を効率よく遂行する協働組織にある。…

【社会変動】より

…そして前者を機械的連帯の社会,後者を有機的連帯の社会と名づけて,その間の変動が人口増大の圧力によっておこるとみた。またM.ウェーバーが世界史の合理化という視点から社会変動論を唱えたことは有名である。このような2極間の変動論と社会進化論とが結びつくと,社会が構造分化と統合を通じて変動するという見解が出てくる。…

【宗教】より

… これに対して第2に,さまざまな宗教における開祖の人格や思想,および教義や儀礼や制度を相互に比較し,それによってそれぞれの宗教にみられる共通性と特異性を明らかにしようとする比較宗教学的な試みがF.M.ミュラーによって創始された。それ以後,世界の諸宗教を比較の視点から客観的に記述し類型化する気運が生ずるようになったが,この方面で最大の成果をもたらしたのがM.ウェーバーである。ウェーバーは,宗教の生成発展を社会の階層や政治・経済的な利害に連関させて考えた点でマルクスと共通していたが,ひろく世界の諸宗教をその内面から比較しつつ類型化を試みた点ではミュラーの方法を継承したということができる。…

【宗教社会学】より

…スミスはアラビア調査旅行の体験を踏まえて聖書文献学を行った(《セム族の宗教》1889)。 É.デュルケームM.ウェーバーは宗教社会学を確立した。両者は同時代に活躍したにもかかわらず,相互の交渉,影響は見当たらない。…

【職業としての政治】より

…1919年初頭に行われた講演をもとにして同年10月に出版されたM.ウェーバー最晩年の著作。彼は,現代において政治を職業に選ぶ者が考慮すべき外的条件として,大衆民主化に起因する政党の官僚制化と指導者選出の〈人民投票的形態plebiszitäre Form〉の発展をあげ,また内的条件として暴力性をはらむ政治の世界における〈責任倫理Verantwortungsethik〉と〈心情倫理Gesinnungsethik〉との深刻な対立をあげる。…

【政治】より

…そのとき,決定作成者や機関は,一般に,集団や社会に対して政治的権威を樹立したという(権威)。 政治的権威の成立の核になっているのは,M.ウェーバーによれば,決定作成者や機関が正統(当)性Legitimitätを獲得することである。その社会に一般的な社会倫理(エートス)を背景にして,支配者の決定に従うのが正しいという観念がいきわたるとき,支配者は正統化されたといわれる。…

【政治意識】より

…K.マンハイムは,こういうマルクス的なイデオロギー概念を拡張して,政治意識を所属集団や階層あるいは職業などの生活的利害によって一般に拘束されたものとして,知識社会学的分析の手法をひらいた。 これに対し,M.ウェーバーは,政治意識を,むしろそれぞれの歴史社会に固有なエートス(社会倫理)によって規定されたものとしてとらえ,それを民族的な文化伝統やエートスの歴史的発展に即して解釈する方向を築いた。エートスの核になるのは,経済的利害を超越した宗教的理念であり,宇宙解釈(コスモロジー)である。…

【政治学】より

…マルクスは政治が経済的な下部構造によって規定された上部構造であり,制度論が市民階級のイデオロギーでしかないと批判して,政治における構造論やイデオロギー論への道を開いた。M.ウェーバーは,政治がその民族社会のエートス(社会倫理)によって規定されていることを分析して,政治文化論や政治人類学の基礎をつくった。またS.フロイトは,意識下の世界の力学が,人間をつき動かし,非合理的な行動をとらせるという解釈を提出し,政治意識論や政治心理学の勃興を促した。…

【聖書学】より

…19世紀末,ウェルハウゼンは,文献資料を発展史観によって並べかえてイスラエル宗教史として再構成し,旧約学の祖となったが,そのころから数多く発見された資料に照らし,環境世界と旧約聖書との有機的把握を主張した宗教史学派(代表H.グンケル)が20世紀初頭より主流を成した。M.ウェーバーの《古代ユダヤ教》は社会学的構造連関を明らかにし,ラートGerhard von Rad(1901‐71)の《旧約聖書神学》と《イスラエルの知恵》は,イスラエル的思考の特質をまとめ,その後の学的討論の踏台を成した。【左近 淑】
[新約聖書学]
 その内容を概観すると,まず新約聖書の言語の研究がある。…

【正当性(正統性)】より

…こうした意欲や同意を調達してくれるのが,支配を正当なものとして受け入れさせる根拠としての正当性である。M.ウェーバーは正当的支配の3類型として伝統的支配,カリスマ的支配,合法的支配をあげたが,これらは支配秩序が正当であるとする人々の信念の類型による区別であって,支配秩序そのものの規範的評価を表すものではない。たとえば合法的支配の正当性にしても,それは法的手続を踏んだ支配を正当なものとみなすということであって,支配秩序そのものの実質的な正当性を保証するわけではない。…

【代表】より

…この憲法は,国民(ナシオン)の主権をうたいつつ,国王と立法議会を代表者としていたが,そのことにも示されるように,上記の二つの要素のうち,もっぱら(1)の要素こそがここでの代表の核心であり,(2)の要素は意識的に否定されていた。それゆえ,選挙による議員にしても,〈選挙人たちによって選挙された主人Herrであって,彼らのしもべではない〉(M.ウェーバー),〈国民に対する議会の独立宣言〉(H.ケルゼン)といういい方が,ここではあてはまった。それに対し,19世紀に男子普通選挙制が成立してくる段階となると,そこで語られる代表は,(2)の要素をも含むものとなってくる。…

【日常性】より

…(2)このような日常生活を裏打ちする〈聖/俗〉〈ケガレ/ハレ〉の論理を介して人類が確保してきた生=時間の意味づけ,共同体=空間の表象を,近代世界はその〈合理化〉の過程をとおして徐々に喪失してきたといえよう。17世紀ころの西ヨーロッパを中心とする資本主義的精神の誕生を論じたM.ウェーバーによれば,当時における資本主義勃興の引き金となったのは,勤勉,節約を旨とする人々の禁欲的な日常生活の組織化であるが,これは元来,救済が不可知であるとするプロテスタント(とくにカルバン派)の教義から生じた宗教的態度であった。しかし,この宗教的態度がそのまま資本主義の精神(エートス)であるわけではない。…

【ヒエラルヒー】より

…そこでは,聖職者たちの単なる職能的な序列づけられた組織が形成されたばかりでなく,この地上の経済・政治・文化・社会・自然のいっさいが一元的な信仰世界としてヒエラルヒー的に秩序づけられ,この世界を維持・発展するための支配の仕組みが成り立っていたのであった。 今日では,この言葉は上述のような価値原理と切り離され,たとえば官僚制,軍隊,企業,政党,組合などの活動を合理的に編成していくための分業的な組織原理,とりわけM.ウェーバーが《経済と社会》(1921‐22)において,近代行政官僚制の巨大組織を説明するのに用いたように,職務上の地位序列および指揮命令系統における上下関係の秩序状態を指すために適用されることが多い。だが,それが単なる機能上の地位分化にとどまらず,権威の体系や支配の手段となりうることも指摘されている。…

【ピューリタン】より

…ここには厳格な律法主義を生み出す危険があったが,ピューリタン革命の中から近代憲法の社会的自由や人権や寛容の思想が生み出されたことは注目されねばならない。また,資本主義の形成に果たしたピューリタンの影響を強調したM.ウェーバーの解釈は,多大の論議を呼んだ。ピューリタンの理念はアメリカ文明の基本理念となって生き続け,さらには世界的に広まっていった。…

【日和見主義】より

…この場合の日和見主義は単なる無原則的行動とは異なり,的確な状況認識に立って,目的達成に向けての有効な手段の選択としてなされるものであるから,優に政治理論の考察の対象たりうるものとなる。 M.ウェーバーは,政治家の資質として,状況に対する判断力と責任感を挙げ,さらに,理想への情熱的献身が必ずしもその実現を約束しないという冷厳な事実を指摘して,政治家には,単なる理想の追求という主観的な心情とは別に現実的な結果に対する責任感が必要であることを説いたが,この考え方は,日和見主義的行動を規範的側面から合理化するものとみることができよう。なお,二大勢力の対立下で,立場の一定しない第三者の挙動が日和見主義とされる場合がある。…

【プロテスタンティズム】より

… プロテスタンティズムは西洋近代の成立と発展とに歩みを同じくしているので,近代世界と深い関係をもったことは当然である。近代資本主義成立にかかわるプロテスタンティズムとくにカルビニズムないしピューリタニズムの倫理の役割を強調したM.ウェーバーの《プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神》は有名である。また神の前に立つ良心的人格の確立は,近代の個人主義的傾向に大きな影響を及ぼしている。…

【プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神】より

M.ウェーバーの,ある意味では彼を代表するほどの有名な論文。1905年,彼がW.ゾンバルトとともに編集する雑誌《Archiv für Sozialwissenschaft und Sozialpolitik》に公表され,その後直ちにゾンバルト,L.ブレンターノ,F.ラッハファール,E.トレルチなど多くの学者の間に激しい論争が生じた。…

【法社会学】より

… ついで資本主義の高度な発展により,法と社会とのギャップが顕在化したとき,自由法論を経由して,法社会学が,法社会学という名の下に自覚的な発展を始めた。第1次大戦前後に現れたE.エールリヒの《法社会学の基礎づけ》(1913)やM.ウェーバーの〈法社会学〉(1921年の《経済と社会》の第7章)がその例である。 さらに1929年の世界恐慌以後,資本主義社会が高度に組織化されるに至ると,社会統制手段としての法の有効性を追求するために,システム分析の方法に基づく法的メカニズムの総体的把握が試みられるに至った。…

【了解】より

…この考え方をさらに発展させたのがガダマーの解釈学的反省である。 これと別にM.ウェーバーは,人間の行為の〈主観的意味〉の了解をめざす了(理)解社会学verstehende Soziologieを構想している。主観的意味とは,心理的な感情ではなく,例えば営利企業における収益性の追求などがそれであり,したがって,それぞれの当事者の心理とは無関係のものである。…

【ロビンソン・クルーソー】より

…つまり,父に背いて罪を犯した人間が罰せられ,苦しみ,悔い改め,最後に救われるという当時のピューリタンの伝統にそった〈霊的自伝〉でもある。また,限られた物資のなかで生活を築いていくロビンソンの姿は,後世マルクスやウェーバーらの考察するところともなった。たとえばウェーバーは,ロビンソンの現実的・合理的行動様式に〈資本主義の精神〉に照応する目的合理的思考を読みとっている。…

【ローマ没落史観】より

… 史的唯物論はそれまでもっぱら上部構造の面から考えられていたローマ帝国盛衰論を,社会経済的構造の面からみる新視点を与えた。ローマの繁栄を〈古代資本主義〉とみてその形成条件の消失に没落原因を求めるM.ウェーバー,コロヌス制(コロナトゥス)の成立に古代の終焉をみるウェスターマンW.L.Westermannも社会経済的要因を重視する立場に立つ。3世紀の危機を都市ブルジョアジーと農民大衆の対立としてとらえて経済的没落原因論を拒否したロストフツェフも,その《ローマ帝国社会経済史》における分析では,市場の外延的拡大に伴う属州の生産地化とイタリアの経済的下降が,帝国の社会経済的構造を崩壊させたとしている。…

【ワイマール文化】より

…同時にそれはヨーロッパ中心主義の崩壊と相対主義の普遍化という,新時代の原理を準備するものだった。そして相対主義はウェーバーによって文化の危機意識として極限化された。彼の思想的営為は伝統的価値が清算される一段階であり,むなしい努力ではあったが,その努力自体がワイマール文化のエートスでありパトスだった。…

※「ウェーバー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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