イギリス・ロマン派の代表的詩人。ゲーテに「今世紀最大の天才」と賞賛された彼の詩の影響は、全ヨーロッパに及んだ。
悪名高い近衛(このえ)大尉の放蕩(ほうとう)貴族の子としてロンドンに生まれる。幼時に父を失い、スコットランドのアバディーンで、高慢でむら気な母親の異常な愛情のもとに育てられた。右足首に障害もあり、不幸な幼年期を送ったが、10歳で大伯父から爵位を継ぎ、第6代バイロン男爵6th Baron Byronとして、ノッティンガム州の居館ニューステッド・アベイに移る。ハロー校からケンブリッジ大学に進むが、もっぱら悪友と交わり、スポーツや読書にふけった。1807年、小詩集『懶惰(らんだ)の日々』を発表。『エジンバラ評論』誌の冷評に対し、風刺詩『イングランド詩人とスコットランド批評家』(1809)をもって一矢を報いた。卒業後、世襲貴族として上院に議席を占めるが、無為な青春を紛らわすため、1809~11年に、友人とともにリスボン、セビーリャ、マルタ、アルバニア、アテネなど地中海の諸地を旅行。南欧の自由な明るい風光に激しい創作欲を駆られて、帰国後ただちに、旅に取材した長編物語詩『チャイルド・ハロルドの遍歴』第1、2編(1812)を書いた。異国情調にあふれたこの詩集は、たちまち爆発的に迎えられ「一朝目覚めれば天下の詩人」と自ら日記に書く。この成功に引き続き『邪宗徒』(1813)、『アビュドスの花嫁』(1813)、『海賊』(1814)、『ララ』(1814)、『コリントの包囲』(1816)など、次々と物語詩を発表。近親相姦(そうかん)など、これらの背徳的主題は、キャロライン・ラムや異母姉オーガスタとの醜聞、あるいはまたアナベラ(アン・イザベラ)・ミルバンクとの結婚そして破局という、美貌(びぼう)の青年貴族バイロンの私生活をめぐる数々の悪評と相まって、ようやく世間の指弾も厳しく、ついに1816年、永久にイギリスを去った。
ライン川からジュネーブに赴き、詩人シェリー夫妻と交遊する。そしてシェリーと同行の彼の義妹クレア・クレアモントとの間に一女をもうけた(1817)のち、ベネチア、ローマ、ピサなどイタリアの諸地を転々。この間、グィッチョーリ伯夫人テレーザと交情を深めつつ『チャイルド・ハロルドの遍歴』第3、4編(1816、18)をはじめ、近代的自我の苦悩を描いた『マンフレッド』(1817)以下、『ベッポ』(1818)、『マゼッパ』(1819)、『マリノ・ファリエロ』(1821)、『サーダナパラス』(1821)、『ケイン』(1821)、『天と地』(1823)など、詩劇を精力的に発表したほか、1818年からは未完の長詩『ドン・ジュアン』(1819~24)を書き続けた。22年には、イギリスからきた友人リー・ハントを助けて、『ザ・リベラル』誌を発刊。すでに彼は、イタリアのカルボナリ党の反オーストリア・反教皇運動に関与したため官憲の監視下にあったが、23年7月、トリローニEdward John Trelawny(1792―1881)ら同志とともにギリシアに渡り、トルコの圧制に抗するギリシア独立軍に参加。翌年4月19日、マラリア熱のため、ミソロンギの戦線で客死した。
[上田和夫]
『岡本成蹊・熊田精華・岡本隆他訳『バイロン全集』(1995・日本図書センター)』▽『中野好夫・小川和夫訳『愛と孤独の遍歴――バイロンの手紙と日記』(角川文庫)』▽『阿部知二訳『バイロン詩集』(新潮文庫)』▽『上杉文世著『バイロン研究』(1978・研究社出版)』▽『E・J・トリローニィ著、渡辺陸三訳『バイロン、シェリー追想記』(1988・渡辺まさ子)』▽『東中稜代著『バイロン初期の諷刺詩』(1989・山口書店)』▽『楠本晢夫著『永遠の巡礼詩人バイロン』(1991・三省堂)』▽『向山泰子著『バイロン巡歴の跡を辿りて』(2002・近代文芸社)』▽『アンドレ・モロア著、大野俊一訳『バイロン伝』(角川文庫)』
イギリス,ロマン派の詩人。偽善に満ちた社会への痛烈な反抗で〈リベラリズムの比類ない布教者〉(ハイネ)となり,強烈な自我の英雄詩人の原型をつくって,19世紀のヨーロッパに広範な影響を与えた。熱狂と倦怠,恍惚と憂鬱(ゆううつ),高貴と卑俗の間に揺れ動く詩人の気質は,そのままバイロンの詩に反映している。この矛盾した素地は,放蕩者の父と気まぐれな母に育てられた幼年時代にあるかもしれない。1798年大伯父から男爵位を継ぎ,ハロー校,ケンブリッジ大学で教育を受け,激しい情熱を読書,水泳,恋愛,作詩にそそいだ。在学中に《怠惰の日々》(1807)を出版したが悪評だった。しかし2年後の1809年,《イングランド詩人とスコットランド批評家》の風刺詩で一矢を報いた。同年,2年にわたる地中海諸国への旅に出発。その成果は,一夜にして彼を文壇のアイドルにした《チャイルド・ハロルドの遍歴》第1,2巻(1812)の出版だった。当時のペシミズムの風潮を象徴する憂鬱な貴公子のデビューは衝撃的だった。
15年,抒情詩の《ヘブライ調》の刊行や奔放な女性関係で浮名を流した後,結婚した。しかし異腹の姉とのスキャンダルなどで1年後に離別,社会の非難をあびて,永久にイギリスを離れた。この苦い経験は《チャイルド・ハロルドの遍歴》第3,4巻(1816,18)に結実した。ライン川をさかのぼり,スイス,イタリアを放浪中,《シヨンの囚人》(1816),劇詩《マンフレッド》(1817),《マゼッパ》(1819),《カイン》(1821)を書いた。そこには因襲への抵抗と懐疑,大胆な自我宣言が共通にみられる。これと並行して風刺詩《ドン・ジュアン》(1819-24),《審判の幻》(1822)も完成した。前者は冒険とロマンスのピカレスク風社会風刺詩の傑作である。このほかニヒリスティックな問題作《サーダナパラス王》(1821),《不具の変容》(1824)を発表するかたわら,イタリアで恋愛や自由運動に明けくれた。最後にトルコからのギリシア独立運動を積極的に支持したが,脳炎にかかりギリシアのミソロンギで36歳の嵐の生涯をとじた。情熱と行動の詩人バイロンの後期の抒情詩〈さすらいをやめよう〉や,グイッチョリ伯爵夫人への愛をうたった〈ポー川〉や哀切な辞世のうたは,心に残る佳品である。
日本でもバイロンは早くから紹介され,《マンフレッド》を抄訳した森鷗外の《於母影(おもかげ)》(1889),《シヨンの囚人》を翻案した北村透谷《楚囚之詩》(1889),《チャイルド・ハロルドの遍歴》から構想を得た土井晩翠《東海遊子吟》(1906)などは有名である。
執筆者:松浦 暢
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1788~1824
イギリスの詩人。少年期に男爵家を継承。『チャイルド・ハロルドの遍歴』(1812,16,18年)により名声をあげ,社交界の寵児となる。ヨーロッパ大陸で奔放な生活を送り,大作『ドン・ジュアン』(19~24年)などを詩作。ギリシア独立戦争に参加するためギリシアにおもむき客死。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…自力で遠距離を泳ぐこと。1810年にイギリスの詩人バイロンが,ギリシア神話に出てくるヘロとレアンドロスの伝説にある遠泳は可能とみて,ヘレスポントス(ダーダネルス)海峡を泳ぎ渡った話は有名である。世界的に著名な遠泳は,ドーバー海峡の横断で,イギリス側のドーバーとフランス側のグリ・ネ岬の間,最短距離で約34kmを泳ぐ。…
…イブラーヒーム軍はついでギリシア人が英雄的な抵抗を示したミソロンギを攻略して全滅させ(1826年4月),アテネも占領した。蜂起勃発後,自由を求める西欧の親ヘレニストのなかには,バイロンのように蜂起側に参加する者もいたが,ヨーロッパ列強は一般に傍観的態度をとり,とくにメッテルニヒは強硬に蜂起に反対した。しかし27年にギリシア中央部でカライスカキスの率いる蜂起軍が勝利したころから,ギリシアをめぐる国際情勢も変化しはじめた。…
…イギリスの詩人バイロンの物語詩。全4巻。…
…この系譜の中からは,激変する社会の現実と自己の存在との乖離(かいり)を感じ,愛に満たされず何かを求め続け現実から逃避していく〈世紀病mal du siècle〉を病んだロマン派的魂の典型が浮かび上がる。 イギリスにおけるロマン主義は,1800年ころにワーズワースとコールリジを中心に提唱され,1810年から20年にかけてバイロン,シェリー,キーツ,あるいはブレークらの詩人の登場によって頂点を迎えた。個々の作家はロマン主義的な思想と主題とを豊かに展開しているとはいえ,ロマン派としての運動体を形成することはなかった。…
…
[ヨーロッパ各国での展開]
ヨーロッパのドイツ語圏以外へのドイツ・ロマン派(演劇)の影響は,まずデンマークでA.エーレンスレーヤーのようなロマン派劇の作家を生み,イギリスではW.スコットが《ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン》を翻訳し,W.ワーズワースやS.T.コールリジはシラーの《群盗》の影響を受けた。バイロンの《マンフレッド》(1817),P.B.シェリーの《チェンチ一族》(1819)などは,当時はむしろ書斎劇と考えられており,舞台で再評価しようとする試みはずっと後になって行われることとなった。たとえばバイロンの場合,生前に上演されたのは《マリノ・ファリエロ》(1821)一編だけであった。…
※「バイロン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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