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バイロン バイロン Byron, George Gordon (Noel), 6th Baron

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

バイロン
バイロン
Byron, George Gordon (Noel), 6th Baron

[生]1788.1.22. ロンドン
[没]1824.4.19. ミソロンギ
イギリスの詩人。ポルトガルからギリシアへの旅を扱った長詩『チャイルド・ハロルドの巡礼』 Childe Harold's Pilgrimageの1~2巻 (1812) によって一挙に名声を獲得,社交界の寵児となったが,異母姉オーガスタとの醜聞のためにイギリスを追われ,1816年イタリアへ渡った。

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バイロン
バイロン
Byron, John

[生]1723.11.8.
[没]1786.4.10.
イギリスの軍人,提督。 1741年 G.アンソンの世界周航に参加中,チリ沖で遭難,苦難の末 46年本国に帰着。のち 64年南太平洋探検隊指揮官,69年ニューファンドランド総督,78年海軍中将に昇進。

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百科事典マイペディアの解説

バイロン

英国の詩人。男爵。奔放な女性遍歴,ギリシア独立運動への参加など波瀾(はらん)の生涯を送り,熱病のためミソロンギで死んだ。1809年―1811年の南欧・近東旅行,1816年以後のおもにイタリア放浪の生活が,憂愁と反逆の詩に異国情緒をそえている。
→関連項目ダンディズム土井晩翠ピーコック悲愴交響曲フィルヘレニズムメソロンギオンメルバーンモントルー

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世界大百科事典 第2版の解説

バイロン【George Gordon,6th Baron Byron】

1788‐1824
イギリス,ロマン派の詩人。偽善に満ちた社会への痛烈な反抗で〈リベラリズムの比類ない布教者〉(ハイネ)となり,強烈な自我の英雄詩人の原型をつくって,19世紀のヨーロッパに広範な影響を与えた。熱狂と倦怠,恍惚と憂鬱(ゆううつ),高貴と卑俗の間に揺れ動く詩人の気質は,そのままバイロンの詩に反映している。この矛盾した素地は,放蕩者の父と気まぐれな母に育てられた幼年時代にあるかもしれない。1798年大伯父から男爵位を継ぎ,ハロー校ケンブリッジ大学で教育を受け,激しい情熱を読書,水泳,恋愛,作詩にそそいだ。

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大辞林 第三版の解説

バイロン【George Gordon Byron】

1788~1824) イギリスの詩人。ロマン派を代表し、社会の偽善に対する反抗精神を基盤に近代的自我意識を強烈に表現した。英国を去りヨーロッパ各地を遍歴したのち、ギリシャ独立戦争に参加、戦病死した。代表作「チャイルド=ハロルドの遍歴」「マンフレッド」「ドン=ジュアン」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

バイロン
ばいろん
Lord ByronGeorge Gordon Byron
(1788―1824)

イギリス・ロマン派の代表的詩人。ゲーテに「今世紀最大の天才」と賞賛された彼の詩の影響は、全ヨーロッパに及んだ。
 悪名高い近衛(このえ)大尉の放蕩(ほうとう)貴族の子としてロンドンに生まれる。幼時に父を失い、スコットランドのアバディーンで、高慢でむら気な母親の異常な愛情のもとに育てられた。右足首に障害もあり、不幸な幼年期を送ったが、10歳で大伯父から爵位を継ぎ、第6代バイロン男爵6th Baron Byronとして、ノッティンガム州の居館ニューステッド・アベイに移る。ハロー校からケンブリッジ大学に進むが、もっぱら悪友と交わり、スポーツや読書にふけった。1807年、小詩集『懶惰(らんだ)の日々』を発表。『エジンバラ評論』誌の冷評に対し、風刺詩『イングランド詩人とスコットランド批評家』(1809)をもって一矢を報いた。卒業後、世襲貴族として上院に議席を占めるが、無為な青春を紛らわすため、1809~11年に、友人とともにリスボン、セビーリャ、マルタ、アルバニア、アテネなど地中海の諸地を旅行。南欧の自由な明るい風光に激しい創作欲を駆られて、帰国後ただちに、旅に取材した長編物語詩『チャイルド・ハロルドの遍歴』第1、2編(1812)を書いた。異国情調にあふれたこの詩集は、たちまち爆発的に迎えられ「一朝目覚めれば天下の詩人」と自ら日記に書く。この成功に引き続き『邪宗徒』(1813)、『アビュドスの花嫁』(1813)、『海賊』(1814)、『ララ』(1814)、『コリントの包囲』(1816)など、次々と物語詩を発表。近親相姦(そうかん)など、これらの背徳的主題は、キャロライン・ラムや異母姉オーガスタとの醜聞、あるいはまたアナベラ(アン・イザベラ)・ミルバンクとの結婚そして破局という、美貌(びぼう)の青年貴族バイロンの私生活をめぐる数々の悪評と相まって、ようやく世間の指弾も厳しく、ついに1816年、永久にイギリスを去った。
 ライン川からジュネーブに赴き、詩人シェリー夫妻と交遊する。そしてシェリーと同行の彼の義妹クレア・クレアモントとの間に一女をもうけた(1817)のち、ベネチア、ローマ、ピサなどイタリアの諸地を転々。この間、グィッチョーリ伯夫人テレーザと交情を深めつつ『チャイルド・ハロルドの遍歴』第3、4編(1816、18)をはじめ、近代的自我の苦悩を描いた『マンフレッド』(1817)以下、『ベッポ』(1818)、『マゼッパ』(1819)、『マリノ・ファリエロ』(1821)、『サーダナパラス』(1821)、『ケイン』(1821)、『天と地』(1823)など、詩劇を精力的に発表したほか、1818年からは未完の長詩『ドン・ジュアン』(1819~24)を書き続けた。22年には、イギリスからきた友人リー・ハントを助けて、『ザ・リベラル』誌を発刊。すでに彼は、イタリアのカルボナリ党の反オーストリア・反教皇運動に関与したため官憲の監視下にあったが、23年7月、トリローニEdward John Trelawny(1792―1881)ら同志とともにギリシアに渡り、トルコの圧制に抗するギリシア独立軍に参加。翌年4月19日、マラリア熱のため、ミソロンギの戦線で客死した。[上田和夫]
『岡本成蹊・熊田精華・岡本隆他訳『バイロン全集』(1995・日本図書センター) ▽中野好夫・小川和夫訳『愛と孤独の遍歴――バイロンの手紙と日記』(角川文庫) ▽阿部知二訳『バイロン詩集』(新潮文庫) ▽上杉文世著『バイロン研究』(1978・研究社出版) ▽E・J・トリローニィ著、渡辺陸三訳『バイロン、シェリー追想記』(1988・渡辺まさ子) ▽東中稜代著『バイロン初期の諷刺詩』(1989・山口書店) ▽楠本晢夫著『永遠の巡礼詩人バイロン』(1991・三省堂) ▽向山泰子著『バイロン巡歴の跡を辿りて』(2002・近代文芸社) ▽アンドレ・モロア著、大野俊一訳『バイロン伝』(角川文庫)』

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世界大百科事典内のバイロンの言及

【遠泳】より

…自力で遠距離を泳ぐこと。1810年にイギリスの詩人バイロンが,ギリシア神話に出てくるヘロとレアンドロスの伝説にある遠泳は可能とみて,ヘレスポントス(ダーダネルス)海峡を泳ぎ渡った話は有名である。世界的に著名な遠泳は,ドーバー海峡の横断で,イギリス側のドーバーとフランス側のグリ・ネ岬の間,最短距離で約34kmを泳ぐ。…

【ギリシア解放戦争】より

…イブラーヒーム軍はついでギリシア人が英雄的な抵抗を示したミソロンギを攻略して全滅させ(1826年4月),アテネも占領した。蜂起勃発後,自由を求める西欧の親ヘレニストのなかには,バイロンのように蜂起側に参加する者もいたが,ヨーロッパ列強は一般に傍観的態度をとり,とくにメッテルニヒは強硬に蜂起に反対した。しかし27年にギリシア中央部でカライスカキスの率いる蜂起軍が勝利したころから,ギリシアをめぐる国際情勢も変化しはじめた。…

【チャイルド・ハロルドの遍歴】より

…イギリスの詩人バイロンの物語詩。全4巻。…

【ロマン主義】より

…この系譜の中からは,激変する社会の現実と自己の存在との乖離(かいり)を感じ,愛に満たされず何かを求め続け現実から逃避していく〈世紀病mal du siècle〉を病んだロマン派的魂の典型が浮かび上がる。 イギリスにおけるロマン主義は,1800年ころにワーズワースとコールリジを中心に提唱され,1810年から20年にかけてバイロン,シェリー,キーツ,あるいはブレークらの詩人の登場によって頂点を迎えた。個々の作家はロマン主義的な思想と主題とを豊かに展開しているとはいえ,ロマン派としての運動体を形成することはなかった。…

【ロマン派演劇】より


[ヨーロッパ各国での展開]
 ヨーロッパのドイツ語圏以外へのドイツ・ロマン派(演劇)の影響は,まずデンマークでA.エーレンスレーヤーのようなロマン派劇の作家を生み,イギリスではW.スコットが《ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン》を翻訳し,W.ワーズワースやS.T.コールリジはシラーの《群盗》の影響を受けた。バイロンの《マンフレッド》(1817),P.B.シェリーの《チェンチ一族》(1819)などは,当時はむしろ書斎劇と考えられており,舞台で再評価しようとする試みはずっと後になって行われることとなった。たとえばバイロンの場合,生前に上演されたのは《マリノ・ファリエロ》(1821)一編だけであった。…

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