デジタル大辞泉 「シェリー」の意味・読み・例文・類語
シェリー(Shelley)
(Mary Wollstonecraft ~)[1797~1851]英国の女流小説家。の妻。代表作、怪奇小説「フランケンシュタイン」。
翻訳|sherry
スペイン南西部のヘレス・デ・フロンテラ,およびサンルカル・ド・バラメダ,プエルト・ド・サンタマリア地区に産する強化白ブドウ酒。英語のシェリーは,ヘレスのスペイン語古名シェレスにちなむ。アルコール分18~22%。色は淡黄色から褐色,味は辛口から甘口までのものがあり,食前酒あるいは食後酒として,とくにイギリスで愛好される。多くの種類があるが,フィノ型とオロロソ型に大別される。フィノ型にはフィノ,マンサニリャ,アモンティリャドの3種があり,オロロソ型にはオロロソとパロ・コルタドがある。フィノは緑色のパロミノ種のブドウを原料とし,1~2日天日乾燥後搾汁し,これに石灰分の多い土を加えて発酵させる。こうして得られた白ブドウ酒のうち,良質のものを選んで樽に3/4くらい入れておくと,やがて表面に白い薄膜を生じ,香味が変化してくる。この膜がフロール(花)と呼ばれるシェリー酵母である。フィノは辛口で色が薄い。マンサニリャとアモンティリャドもフロール形成があるもので,前者はサンルカル地区に産する辛口,後者はやや甘口で色も濃い。オロロソ型のものはフロールを形成しない。オロロソはペドロヒメネス種を原料とし,数日間天日乾燥して搾汁する。果汁糖分が高いためアルコール分が多くなり,このためフロール形成がないので,樽に満量詰めて熟成させる。甘口で色は濃い。以上いずれのシェリーも,熟成にはソレラ・システムが用いられる。これは100個ほどの樽を4~5段に積み,最上段に新酒を入れ,上から下へと1/4量くらいずつを移しかえて,新酒と古酒を調合しながら熟成させる方法である。製品は最下段から採取し,ブランデーを補添(強化)し,卵白を混ぜて清澄ろ過して瓶詰にする。なお,以上のほかにクリーム・シェリーがある。これは古いフィノとオロロソを配合し,濃縮果汁を加えて甘みを多くしたもので,暗褐色で濃厚な味をもつ。シェリーの空樽には強い芳香が残り,スコッチウィスキーの熟成に使用される。
執筆者:大塚 謙一
イギリス・ロマン派の詩人。T.S.エリオットの酷評以来,20世紀批評家の仕事は輝く翼をもったこの詩人を〈地上に引き下ろすこと〉にあったほど,シェリーは象徴的な存在だった。比類のない抒情性と人間愛による社会改造論,D.ヒューム的懐疑論に神秘的汎神論,プラトニズムにG.バークリー的非物質主義が,彼の特質といわれている。抽象的に流れる欠点はあったが,彼の理想追求は純粋ではげしく,生涯のものだった。イートン校では不当な〈しごき制度〉を非難し,オックスフォード大学では社会改造論《無神論の必然性》(1811)を匿名で発表,そのため追放された。アイルランドのカトリック解放運動にも加わるが失敗。ハリエット・ウェストブルックとの同情結婚も挫折。やがて急進的社会思想家W.ゴドウィンと交遊し,その娘メアリーとの大陸逃亡,ハリエットの自殺と,めまぐるしい環境の変化と精神の動揺とを体験するが,創作活動は着実だった。《マブ女王》(1813)は社会改革の寓意詩で,その趣旨は《イスラムの反乱》(1818)につづき,さらに権力に逆らって愛で人類を解放する《プロミーシュース解縛》(1820)で頂点になり,デフォルメして父の暴虐とたたかう《チェンチ》(1819)の悲劇になる。一方,理想美追求の作品として,《アラスター》(1816)は〈愛する存在〉を模索して失敗するが,《エピサイキディオン》(1821)では,愛のビジョンと霊肉が合一する哲学詩に昇華している。このほか華麗で繊細な抒情短詩,夏目漱石の《草枕》にも出てくる〈雲雀の歌〉,島崎藤村の〈秋風の歌〉のモデル〈西風の歌〉があり,その結びの一句〈冬来りなば春遠からじ〉は有名である。ロマン詩論の宣言《詩の弁護》(1821)やギリシア文学翻訳,哀詩《アドネイス》(1821)も重要である。最後は,人生への深い幻滅と懐疑を示す未完詩《生の勝利》(1822)に暗示されたように,嵐と操帆のミスでヨットが転覆,悲劇的な死をとげた。
執筆者:松浦 暢
イギリスの女流作家で詩人P.B.シェリーの2番目の妻。政治哲学者W.ゴドウィンと女権拡張論者M.ウルストンクラフトとの唯一の子としてロンドンに生まれた。彼女を出産して数日後に死んだ母の生き方を理想とし,家庭を顧みぬ父を嫌ったという。しかし父のもとに出入りする多くの学者や作家から知的刺激を受け,後年夫となるシェリーとの出会いもそうした環境から生まれた。二人の結婚は彼の前妻を自殺に追いやるという悲劇を土台に6年でついえたが,夫から得た文学上の影響は大きく,21歳のとき完成させた処女作《フランケンシュタイン》(1818)も彼の示唆と指導の下に書かれたという。この作品は,夫やバイロンらロマン派詩人が社会から疎外される姿を人造怪物の悲劇に託して語り,悪疫で世界が滅びる黙示録的未来を扱った《最後の人》(1826)とともに,恐怖小説ならびにSFの先駆とされる。また学識を生かした《バルペルガ》(1823)ほか歴史小説も多い。後半生は初の女流職業作家として収入を得つつ息子パーシーPercyの養育に力を尽くしたが,夫の伝記執筆はシェリーの父に反対されるなどして,ついに果たせなかった。
執筆者:荒俣 宏
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出典 (株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」とっさの日本語便利帳について 情報
…本来は,M.W.シェリー原作の《フランケンシュタイン,あるいは現代のプロメテウス》(1818)に登場する科学者ビクトル・フランケンシュタイン男爵の姓。今日ではもっぱら怪奇映画のスクリーンを通じて,同男爵が死体から造った〈怪物〉の通称ともされている。…
…ロンドンの商人の家に生まれた。詩人シェリーと親交を結んだがロマン主義の思想にはつねに一定の距離を保ち,懐疑的な詩論《詩の四つの時代》(1820)を書き,それへの反駁(はんばく)である《詩の擁護》(1821)をシェリーが執筆するきっかけをつくった。W.スコット風のロマンティックな冒険小説も書いたが,彼の本領は田舎の屋敷に当代の思想傾向を代表する各種の奇人変人が集まり,議論を戦わせるという設定の風刺小説である。…
…この系譜の中からは,激変する社会の現実と自己の存在との乖離(かいり)を感じ,愛に満たされず何かを求め続け現実から逃避していく〈世紀病mal du siècle〉を病んだロマン派的魂の典型が浮かび上がる。 イギリスにおけるロマン主義は,1800年ころにワーズワースとコールリジを中心に提唱され,1810年から20年にかけてバイロン,シェリー,キーツ,あるいはブレークらの詩人の登場によって頂点を迎えた。個々の作家はロマン主義的な思想と主題とを豊かに展開しているとはいえ,ロマン派としての運動体を形成することはなかった。…
…人口17万5653(1981)。ヘレスは優秀な品質のブドウ酒の生産地として知られ,この地名が転じてシェリー酒の語源となった。ヘレス平野はブドウ栽培に適し,ローマ時代からブドウ酒作りが行われていた。…
※「シェリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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