アイクシュテット
Egon Freiherr von Eickstedt
生没年:1892-1965
ドイツの人類学者。ベルリン大学のルシャンのもとで人類学の研究に入り,フライブルク,ウィーン,ミュンヘンの各大学をへて,1929年ブレスラウ(ブロツワフ)大学教授となる。1926-29年にはインド,37-39年には東南アジアを訪れて人種学的調査を行った。34年に刊行した《人種学と人種史》は,数少ない人種学の成書として世界的な名声を博した。第2次世界大戦後はマインツ大学に移り,48年にドイツ人類学会を創立した。また幅広い視野をもった自然人類学の専門誌《ホモHomo》を創刊し,今日の同誌の発展の基礎をきずいた。人間の形態,遺伝,生理,心理に関する研究の総合を目ざし,ライフワークとして36年以来とりくんでいた大著《人間の研究》三部作は,二十数年の歳月をついやして63年に完成した。
執筆者:山口 敏
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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アイクシュテット
Eickstedt, Egon, Freiherr von
[生]1892.4.10. イェルジッツバイ,ポーゼン
[没]1965.12.20. マインツ
ドイツの人類学者。ブレスラウ大学人類学教授,マインツ大学人類学教授を歴任。インド,中国,インドシナなどの人類学的調査を行なった。 1933年に『人種学および人種史』 Rassenkunde und Rassengeschichte der Menschheitを著わし,そのなかで人類を皮膚の色によって白,黒,黄色の三大人種系株に分け,地域別にその下に 36の人種をおいた。さらにこれらの人種を主人種,副人種,特殊型,中間型に分け,整然たる分類表を完成した。系統的すぎるきらいはあるが,最もよくまとまった人類分類表として使用されている。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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「アイクシュテット」の意味・わかりやすい解説
アイクシュテット
ドイツの人類学者。1929年ブレスラウ大学教授,1946年マインツ大学教授,1948年ドイツ人類学会初代会長。研究対象は人種学,古代人類学,民族学,心理学等きわめて広い。主著《人間の研究》(1963年)。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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アイクシュテット
生年月日:1892年10月10日
ドイツの人類学者
1965年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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