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強制収容所 きょうせいしゅうようじょconcentration camp

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

強制収容所
きょうせいしゅうようじょ
concentration camp

軍事的,政治的理由ないしは隔離,処罰,労働力確保などの目的で,ほとんど裁判によることなく,大量に人々を収容するための施設。その意味で通常の刑務所や戦争法規に基づく捕虜収容所と異なる。一般に劣悪な収容条件を特徴とする。 1896年にスペインがキューバ革命鎮圧のために設けたもの,1901年の南アフリカ戦争でイギリスがボーア人収容のために設けたものがその古い例であるが,最も有名なのは,ソ連の強制労働収容所とナチスドイツの強制収容所である。ソ連の収容所は政治警察の手で北部やシベリアに設けられ,最初は反革命分子や重大な経済犯が,5ヵ年計画時にはクラーク (富農) が,粛清時にはその犠牲者がおもに収容された (→ラーゲリ ) 。ナチスの収容所の対象は最初社会主義者であったが,すぐユダヤ人に,開戦後は被占領国民に拡大された。アウシュウィッツやマイダネクの収容所が典型的。

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デジタル大辞泉の解説

きょうせい‐しゅうようじょ〔キヤウセイシウヨウジヨ〕【強制収容所】

政治的理由などで、裁判によることなく市民を強制的に収容する施設。特に、ナチスドイツがユダヤ人などを収容していたものは有名。

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百科事典マイペディアの解説

強制収容所【きょうせいしゅうようしょ】

歴史上その例は多いが,特にナチス・ドイツが1933年以来,政治的反対派を大量に収容するために設置した拘禁施設Konzentrationslagerが有名。第2次大戦中にはユダヤ人や外国人捕虜を収容するため占領地にも設置された。
→関連項目ゲットーケロールソビエト連邦反ユダヤ主義フランクル

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世界大百科事典 第2版の解説

きょうせいしゅうようじょ【強制収容所 concentration camps】

国家の強制的支配と抑圧の装置であり,多くは司法的手続きなしに,住民一部を収容・拘禁する制度である。古くから戦争や征服の際に,他国民や被征服民族の一部を拘束する制度として設けられてきた。戦争中,住民の一部の敵対行動を防ぐために収容所に入れる例としては,ボーア戦争中にイギリスがトランスバール共和国等の非戦闘員を拘禁したことが知られている。しかし強制収容所が政治支配の手段として重要な意味をもったのは,ファシズム国家とスターリン主義的社会主義体制のもとにおいてであり,戦争と革命・反革命が広く生じた20世紀の現代国家における統治の方法として注目すべき現象といえる。

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大辞林 第三版の解説

きょうせいしゅうようじょ【強制収容所】

政治的理由により、裁判なしに市民を強制的に収容・拘禁する施設。ナチス-ドイツのものが有名。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

強制収容所
きょうせいしゅうようじょ
Konzentrationslagerドイツ語
concentration camp英語

通常の刑務所や捕虜収容所、難民収容所などと異なり、政治的理由から裁判によることなく多くの市民を強制的に収容する施設をいう。この名称は、1896年スペインがキューバ反乱の際に設けた抑留施設に由来し、1901年ブーア戦争でイギリスがゲリラ鎮圧のため12万人のブーア人を収容し虐待したことはよく知られる。有名なのはナチス・ドイツの強制収容所で、一般にはこれをさすが、ソ連の労働収容所、第二次世界大戦中のアメリカの日系市民収容所などを含めて広くいう場合もある。[吉田輝夫]

ナチス・ドイツ

ここでは国会放火事件を口実に例外法的緊急令が出され(1933年2月28日)、警察、突撃隊、親衛隊は共産主義者などの政敵を予防拘禁できるようになり、ヒムラーは最初の強制収容所をミュンヘン郊外ダッハウに設けた。1934年以来強制収容所は親衛隊の管理下に置かれるが、その目的も35年にはイデオロギー的・人種的・社会的理由から「国民の害虫」とされたあらゆる人々(聖職者、ユダヤ人、労働忌避者、常習犯、同性愛者など)の排除に拡大された。初めは社会的隔離ないし矯正を目的としたが、38年以後は軍需産業での強制労働が本質的目的となった。第二次世界大戦が始まると、収容所数も増え、占領地域の市民が収容されるようになった。44年には、強制収容所20、これに付属する労働収容所165、収容者数71万(うちドイツ人は5~10%)であったといわれる。41年以後いわゆるユダヤ人問題の「最終的解決」が始まると、アウシュヴィッツ(オシフィエンチム)などは絶滅収容所となり、600万のユダヤ人、50万の非ユダヤ人がここで殺害された。強制収容所はナチス支配体制の本質的構成要素であったといえるが、ファッショ・イタリアには存在しなかった。[吉田輝夫]

ソ連

帝政期以来、政治犯は強制労働を課されたが、ロシア革命が起こると、反革命分子、重大な経済犯などの「階級敵」が収容され、五か年計画時には「富農」が、さらに「粛清」時に、また1939年以後の領土の拡大時に多くの人々が収容され、その数は500万人に上ったといわれる。その目的は労働による再教育とされたが、ここでの強制労働がソ連経済に一定の役割を果たしたことは否定できない。[吉田輝夫]

アメリカ

1941年日米戦争が始まると、大統領ルーズベルトは「第五列」(スパイ)的活動を恐れ、アメリカ西海岸の日系市民11万人を集中隔離し、議会や最高裁もこの措置を「軍事的必要」として認めた(カナダ政府も同様な措置をとったといわれる)。だが、アメリカ東部やハワイの日系市民にはこのような措置はとられなかった。[吉田輝夫]

第二次世界大戦以降の状況

1950年代ケニアでのマウマウ団の乱に際しイギリスは8万人を緊急収容したといわれるし、共産圏諸国あるいはかつての軍事政権下のギリシアや、チリの軍事政権などについても政治犯の収容所の存在がささやかれたが、実態は明らかでない。[吉田輝夫]
『大石芳野著『「夜と霧」をこえて――ポーランド・強制収容所の生還者たち』(1988・日本放送出版協会) ▽『日系人強制収容所新聞「トパーズ・タイムズ」』第1~10巻(1990・日本図書センター) ▽ジャック・ロッシ著、外川継男訳、内村剛介解題『さまざまな生の断片――ソ連強制収容所の20年』(1996・成文社) ▽長谷川公昭著『ナチ強制収容所――その誕生から解放まで』(1996・草思社) ▽マイケル・O・タンネルほか著、竹下千花子訳『トパーズの日記――日系アメリカ人強制収容所の子どもたち』(1998・金の星社) ▽E・コーゴン著、林功三訳『SS国家――ドイツ強制収容所のシステム』(2001・ミネルヴァ書房) ▽小俣和一郎著『ドイツ精神病理学の戦後史――強制収容所体験と戦後補償』(2002・現代書館)』

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世界大百科事典内の強制収容所の言及

【強制労働】より

…強制力行使や,脅迫手段の誇示など,精神や肉体の自由を奪ったうえで,自由意思に反する労働提供を強要すること。日本国憲法は18条において,〈何人も,いかなる奴隷的拘束も受けない。又,犯罪に因る処罰の場合を除いては,その意に反する苦役に服させられない〉と規定しており,労働基準法においても労働者の意に反して働かせることを禁じている。国際的にみても,植民地・委任統治地域における住民への強制労働を禁止する目的で,1930年,ILOは29号条約〈強制労働に関する条約〉を採択しており,日本も32年に批准している。…

※「強制収容所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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