通常の刑務所や捕虜収容所、難民収容所などと異なり、政治的理由から裁判によることなく多くの市民を強制的に収容する施設をいう。この名称は、1896年スペインがキューバ反乱の際に設けた抑留施設に由来し、1901年ブーア戦争でイギリスがゲリラ鎮圧のため12万人のブーア人を収容し虐待したことはよく知られる。有名なのはナチス・ドイツの強制収容所で、一般にはこれをさすが、ソ連の労働収容所、第二次世界大戦中のアメリカの日系市民収容所などを含めて広くいう場合もある。
[吉田輝夫]
ここでは国会放火事件を口実に例外法的緊急令が出され(1933年2月28日)、警察、突撃隊、親衛隊は共産主義者などの政敵を予防拘禁できるようになり、ヒムラーは最初の強制収容所をミュンヘン郊外ダッハウに設けた。1934年以来強制収容所は親衛隊の管理下に置かれるが、その目的も35年にはイデオロギー的・人種的・社会的理由から「国民の害虫」とされたあらゆる人々(聖職者、ユダヤ人、労働忌避者、常習犯、同性愛者など)の排除に拡大された。初めは社会的隔離ないし矯正を目的としたが、38年以後は軍需産業での強制労働が本質的目的となった。第二次世界大戦が始まると、収容所数も増え、占領地域の市民が収容されるようになった。44年には、強制収容所20、これに付属する労働収容所165、収容者数71万(うちドイツ人は5~10%)であったといわれる。41年以後いわゆるユダヤ人問題の「最終的解決」が始まると、アウシュヴィッツ(オシフィエンチム)などは絶滅収容所となり、600万のユダヤ人、50万の非ユダヤ人がここで殺害された。強制収容所はナチス支配体制の本質的構成要素であったといえるが、ファッショ・イタリアには存在しなかった。
[吉田輝夫]
帝政期以来、政治犯は強制労働を課されたが、ロシア革命が起こると、反革命分子、重大な経済犯などの「階級敵」が収容され、五か年計画時には「富農」が、さらに「粛清」時に、また1939年以後の領土の拡大時に多くの人々が収容され、その数は500万人に上ったといわれる。その目的は労働による再教育とされたが、ここでの強制労働がソ連経済に一定の役割を果たしたことは否定できない。
[吉田輝夫]
1941年日米戦争が始まると、大統領ルーズベルトは「第五列」(スパイ)的活動を恐れ、アメリカ西海岸の日系市民11万人を集中隔離し、議会や最高裁もこの措置を「軍事的必要」として認めた(カナダ政府も同様な措置をとったといわれる)。だが、アメリカ東部やハワイの日系市民にはこのような措置はとられなかった。
[吉田輝夫]
1950年代ケニアでのマウマウ団の乱に際しイギリスは8万人を緊急収容したといわれるし、共産圏諸国あるいはかつての軍事政権下のギリシアや、チリの軍事政権などについても政治犯の収容所の存在がささやかれたが、実態は明らかでない。
[吉田輝夫]
『大石芳野著『「夜と霧」をこえて――ポーランド・強制収容所の生還者たち』(1988・日本放送出版協会)』▽『『日系人強制収容所新聞「トパーズ・タイムズ」』第1~10巻(1990・日本図書センター)』▽『ジャック・ロッシ著、外川継男訳、内村剛介解題『さまざまな生の断片――ソ連強制収容所の20年』(1996・成文社)』▽『長谷川公昭著『ナチ強制収容所――その誕生から解放まで』(1996・草思社)』▽『マイケル・O・タンネルほか著、竹下千花子訳『トパーズの日記――日系アメリカ人強制収容所の子どもたち』(1998・金の星社)』▽『E・コーゴン著、林功三訳『SS国家――ドイツ強制収容所のシステム』(2001・ミネルヴァ書房)』▽『小俣和一郎著『ドイツ精神病理学の戦後史――強制収容所体験と戦後補償』(2002・現代書館)』
国家の強制的支配と抑圧の装置であり,多くは司法的手続きなしに,住民の一部を収容・拘禁する制度である。古くから戦争や征服の際に,他国民や被征服民族の一部を拘束する制度として設けられてきた。戦争中,住民の一部の敵対行動を防ぐために収容所に入れる例としては,ボーア戦争中にイギリスがトランスバール共和国等の非戦闘員を拘禁したことが知られている。しかし強制収容所が政治支配の手段として重要な意味をもったのは,ファシズム国家とスターリン主義的社会主義体制のもとにおいてであり,戦争と革命・反革命が広く生じた20世紀の現代国家における統治の方法として注目すべき現象といえる。強制収容所は,国内における特定の社会層,たとえばナチス・ドイツではユダヤ人や少数民族,宗教者,コミュニストや左翼,またスターリン時代にはクラークやインテリ,旧メンシェビキ,トロツキストといった政治的反対者,さらに古参ボリシェビキや少数民族を政治的に隔離するだけでなく,強制的に労働力として利用する目的をもつものであった。これらの現象は制度ではなくテロルや暴力による統治が重要な意味をもつファシズム国家や革命国家において顕著であるが,民主主義国家においても,第2次世界大戦中のアメリカで日系人収容所の例があり(日系アメリカ人),また政治犯の強制収容の例もみられる。
ドイツの強制収容所は,1933年のナチスの権力掌握当初,政治的敵対勢力(とくに共産党員や社会主義者)を拘禁・分離し,国内での体制を強化する目的で組織された。反対派勢力の一掃後はナチスのアンチ・セミティズムに立脚して,ユダヤ人を絶滅すべく対象を変えた。そして,38-39年以後はドイツの占領地域にまで広がり,占領地の反ナチス分子,戦争捕虜,被占領国民(スラブの各民族)もその対象とされた。ナチス・ドイツに特有な収容所(アウシュビッツ,マイダネクなど)では,残酷な生体実験が行われたほか,600万人にものぼるといわれるユダヤ人がガス室で大量殺戮された。
ソ連の強制収容所制度は,ロシア革命後とくに内乱時に設けられたが,それが大規模になったのは1929-30年以後の農業における全面的集団化,および30年代後半の大粛清以後であり,56年のフルシチョフ期にその多くが解体され,一部は通常の司法手続きに拠る制度に移された。その収容所制度は時期によって異なるが,大別して3種類あった。第1は,司法機関のもとにある矯正労働収容施設で,通常の犯罪人に対し労働を通じて社会復帰をはかるものである。また革命後の義務労働制に起源をもつ有給の,禁固なき強制労働もこのなかに入る。第2は通常グラーグGULagと呼ばれるもので,GPU(ゲーペーウー)(1934年内務人民委員部NKVDに改組)といった政治警察の統轄下にあり,流刑地において強制労働を課した。これはとくにスターリン体制の有力な統治手段となり,農業集団化期のクラークや粛清時の党員たち,また大戦期に少数民族や捕虜はこのもとでダム・運河・工場・鉱山等の建設にあたった。ペレストロイカ期の〈歴史の見直し〉からソ連崩壊期に出た数字では,1939年に132万人と発表された。第3は,内乱時の反革命分子や,その後の政治犯をとくに隔離・禁固するための特別の施設であった。1992年2月ウラル地方ペルミで最後の政治犯強制収容所が閉鎖された。なお,ソ連の強制労働収容所網について,歴史的考察を加えた書に,ソルジェニーツィンの著作《収容所群島》がある。ゴルバチョフ期以後,これらの規模や抑圧についての研究や資料が公開され,ある程度まで特定できるようになった。
執筆者:下斗米 伸夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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19世紀末のキューバの反乱や南アフリカ戦争の際,スペイン,イギリスは強制収容所を設け多数の一般市民を虐待した。しかし一般には第三帝国でナチスが政治的反対派やユダヤ人を大量に収容するため設置した拘禁施設をさす。第二次世界大戦勃発とともに占領地にも拡大された。管理には親衛隊(エス・エス〈SS〉)があたり,栄養失調,拷問,毒ガス,銃殺などによって多くの人が不具にされ,また殺された。アウシュヴィツのそれは絶滅収容所として名高い。なおスターリン治下のソ連には政治的反対派や犯罪人を収容し強制労働させる収容所があり,また,第二次世界大戦中,アメリカにおいて日系市民を集中隔離する収容所があった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
主としてファシズム国家や革命国家にみられる政治的抑圧施設。国家が政治的反対派や民族的少数派に対して隔離・抑圧・転向強制または物理的抹殺を行うため設置する。法的な裏付けを欠く場合が多い。政治的左翼やユダヤ系市民を隔離・抹殺したナチス・ドイツ,クラーク(富農)やトロツキストら政治的反対派を隔離したソ連,第2次大戦中に日系市民を隔離したアメリカの場合などが有名。アメリカでは,1942年大統領令に基づき軍事地域に指定されたカリフォルニア,ワシントン,オレゴン,アリゾナ各州に居住していた日系人を強制退去させ,内陸部のマンザナーなどの強制収容所に収容した。
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出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…強制力行使や,脅迫手段の誇示など,精神や肉体の自由を奪ったうえで,自由意思に反する労働提供を強要すること。日本国憲法は18条において,〈何人も,いかなる奴隷的拘束も受けない。又,犯罪に因る処罰の場合を除いては,その意に反する苦役に服させられない〉と規定しており,労働基準法においても労働者の意に反して働かせることを禁じている。国際的にみても,植民地・委任統治地域における住民への強制労働を禁止する目的で,1930年,ILOは29号条約〈強制労働に関する条約〉を採択しており,日本も32年に批准している。…
※「強制収容所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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