アクセリロード(その他表記)Pavel Borisovich Aksel'rod

改訂新版 世界大百科事典 「アクセリロード」の意味・わかりやすい解説

アクセリロード
Pavel Borisovich Aksel'rod
生没年:1850?-1928

ロシアの貧しいユダヤ人の家庭に生まれ,1870年代にナロードニキとして活動。亡命し,マルクス主義に転じ,プレハーノフ,ザスーリチらと労働解放団創立,ロシア・マルクス主義の発展に貢献した。第2回党大会ではメンシェビキにくみし,そのイデオローグとなった。当面革命ブルジョア革命に限定し,大衆的労働者党の建設を主張した。1905年第1次革命後の合法活動の重視は,レーニンから〈解党派〉と批判された。17年の二月革命後,病体をおして封印列車帰国。十月革命を〈歴史的犯罪〉と非難し,以後国外にあって第二インターナショナルに属し,革命の現実の暴露に努めた。ベルリンで没。著書に《体験と熟慮》(第1巻,1923)などがある。
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百科事典マイペディア 「アクセリロード」の意味・わかりやすい解説

アクセリロード

ロシアのマルクス主義者。亡命中の1883年ジュネーブでプレハーノフらと労働解放団を設立二段階革命論を主張し当面の革命をブルジョア革命に限定した。ロシア社会民主労働党の第2回党大会(1903年)後はレーニンと意見を異にするメンシェビキに属する。1917年の二月革命後一時帰国するが,十月革命を国外にあって厳しく批判しつづけた。ベルリンで死去

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アクセリロード」の意味・わかりやすい解説

アクセリロード
あくせりろーど
Павел Борисович Аксельрод/Pavel Borisovich Aksel'rod
(1850―1928)

ロシアの革命家、メンシェビキの指導者。キエフキーウ)大学卒業後、ナロードニキの運動に参加し、「チョールヌイ・ペレジェール(全土地割替)派」のメンバーとなった。1883年、亡命先のスイスでプレハーノフらとともに、ロシア最初のマルクス主義の団体「労働解放団」を創設。1903年のロシア社会民主党の第2回大会以後メンシェビキとなり、合法的な組合活動を主張して、レーニンらボリシェビキと対立した。

[外川継男]

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