日本歴史地名大系 「アッケシ湊」の解説
アッケシ湊
あつけしみなと
厚岸湾奥、厚岸半島の東岸の湊。一六二〇―四〇年代に松前藩の商場(アッケシ商場、アッケシ場所)が開設されて以来(蝦夷地一件)、東蝦夷地の舟運・交易の拠点となった。湊に面するヌサウシコタンに運上屋(会所)が置かれた。「津軽一統志」には「松前よりあつけし迄海上順風に昼夜四日程。海路二百里程。あつけしより白所迄海路五、六十里程御座候」と記され、「東蝦夷地場所大概書」には「会所前より船路凡弐里半程にてクスリ場所センホウチえ渡」とみえる。古くより「蝦夷地一番之上湊」と称される天然の良港で(蝦夷商賈聞書)、「東行漫筆」には「アツケシの澗聞及びたる能き澗掛り場なり」と記される。前掲大概書に「会所前澗内は四季ともに漁業有る故、蝦夷人食物難儀なく重に浜辺に住居す」「此澗会所前にては東西凡一里程、南北凡二里程の内入江にて、大船何艘も澗繋相成」とある。また「東蝦夷地道中記」に「運上屋ハ入江の東岸にあり、未申の沖はシリバの崎出て入江の口を塞き、居場所岸浅にて遠く懸ても風波の愁なく、出船ハ大黒島の内に沖出シ致へし」、「蝦夷拾遺」に「アツケシは江海にて、東の渚に商家あり、海口に小島有て、波を防ぎ、繋船に八風の無憂。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報