マンジケルトの戦い(読み)マンジケルトのたたかい(その他表記)Battle of Manzikert

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マンジケルトの戦い」の意味・わかりやすい解説

マンジケルトの戦い
マンジケルトのたたかい
Battle of Manzikert

1071年8月 19日,セルジューク・トルコがビザンチン領小アジア侵入を決定的にした戦いスルタンアルプ・アルスランアルメニアのバン湖の近くのマンジケルト (現マラズキルト) でビザンチン皇帝ロマヌス4世対峙。数のうえでは優勢であったが,異質の外国人傭兵を主力としたビザンチン側は,アンドロニクス・ドゥカスの裏切りにより全滅,皇帝は捕虜となった。毎年の進貢義務,身代金,トルコ軍捕虜の送還などを条件に皇帝は釈放されたが,ビザンチン帝国は以後小アジアを失い,その結果,80年にはイコニオンにスルタン・ルーム王国が建設された。

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旺文社世界史事典 三訂版 「マンジケルトの戦い」の解説

マンジケルトの戦い
マンジケルトのたたかい
Manzikert

1071年にセルジューク朝軍がビザンツ帝国軍を破った戦い
セルジューク朝2代目スルタンのアルプアルスラーンは,ビザンツ皇帝ロマヌス=ディオゲネスをトルコ南東部のマンジケルトで破って捕虜にした。トルコによるアナトリア征服の端緒となった。

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