アンティゴノス[1世]
Antigonos Ⅰ
生没年:前382?-前301
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
Sponserd by 
アンティゴノス1世(独眼)(アンティゴノスいっせい(どくがん))
Antigonos Ⅰ (Monophthalmos)
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
Sponserd by 
世界大百科事典(旧版)内のアンティゴノス1世の言及
【アンティゴノス朝】より
…マケドニアのアレクサンドロス大王の部将アンティゴノス1世を祖とするヘレニズム王朝。前306‐前168年。…
【イズニク】より
…古代名はニカエアNicaea。ニカエアは前316年にマケドニアの[アンティゴノス1世]によって建設された。325年に第1回公会議が開かれた場所として有名(第2回は787年)。…
【イプソスの戦】より
…アレクサンドロス大王死後の帝国領相続をめぐる後継者戦争期の重要な会戦。カッサンドロス(マケドニア),プトレマイオス1世(エジプト),リュシマコス(トラキア)ら帝国領の分割をはかる諸将は,前321年の協定で帝国軍の指揮権継承を公認されたアンティゴノス1世が帝国の統一支配権の掌握を狙うのに連合して対抗し,前301年小アジア中部フリュギアのイプソスIpsosで会戦,この戦いでアンティゴノスは敗死した。[ディアドコイ]【大牟田 章】。…
【ディアドコイ】より
…大王の死後将軍たちの間に,帝国の統一支配を目ざすか,自己の領域支配を目ざすかの対立が生まれた。帝国宰相[ペルディッカス]の統一支配強行に対する反発(前321)にはじまる抗争は,大王の近親をふくむ多くの権力志向者の命を失わせ,結局エーゲ海を制圧し王を称した[アンティゴノス1世],[デメトリオス1世]父子に対する,エジプト,トラキア,バビロニア,マケドニアをそれぞれ基盤とする[プトレマイオス1世],[リュシマコス],[セレウコス1世],カッサンドロスKassandros連合軍の勝利となって終わる(前301)。しかしデメトリオスはカッサンドロスの死後マケドニア王となるが,前287年リュシマコスに追われる。…
【ニカエア】より
…城門や塔を備えた町を取り巻くビザンティン時代の城壁は部分的に保存状態はよいが,かつての建造物の多くは廃虚となっている。前316年ころマケドニアのアンティゴノス1世が創設したアンティゴニアAntigoniaが,前288年にリュシマコスにより拡大され,彼の妻の名を取ってニカイアと命名された。122年の地震後ハドリアヌス帝が再建,256年のゴート人の侵入で町は一時荒らされた。…
※「アンティゴノス1世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
Sponserd by 