イプソスの戦い(読み)イプソスのたたかい(その他表記)Battle of Ipsos

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イプソスの戦い」の意味・わかりやすい解説

イプソスの戦い
イプソスのたたかい
Battle of Ipsos

前 301年アレクサンドロス3世 (大王)の後継者 (ディアドコイ ) たち,トラキア王リュシマコス,シリア王セレウコス1世,エジプト王プトレマイオス1世ソテルおよびマケドニア王カサンドロスがフリュギアのイプソスで小アジア王アンチゴノス1世を破った戦い。アンチゴノスは敗死し,大王の帝国はトラキア,マケドニア,シリア,エジプトの4王国に分割された。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「イプソスの戦い」の解説

イプソスの戦い(イプソスのたたかい)
Ipsos

前301年,アナトリア内陸部フリュギアのイプソスで行われたディアドコイの間の決戦。アンティゴノス1世とデメトリオス1世がリュシマコスとセレウコス1世に敗れ,アレクサンドロス大王の遺領の分裂が決定的となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「イプソスの戦い」の意味・わかりやすい解説

イプソスの戦い
いぷそすのたたかい

アレクサンドロス大王の遺領をめぐる後継者(ディアドコイ)戦争の一つ。紀元前301年、小アジアのフリギア地方のイプソスIpsosで、プトレマイオス、カッサンドロス、リシマコス、セレウコスの四者が同盟して、アレクサンドロスの帝国再統一の野望を抱くアンティゴノス1世と戦い、これを敗死させた。これにより帝国の分裂は決定的となり、ひとまず、エジプト、マケドニア、トラキア、およびシリアに4王国が成立した。

[中村 純]

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旺文社世界史事典 三訂版 「イプソスの戦い」の解説

イプソスの戦い
イプソスのたたかい
Ipsos

前301年,小アジアの都市イプソスで,アレクサンドロス大王の後継者(ディアドコイ)が争った戦争
小アジアのアンティゴノス父子がトラキア・シリアの連合軍に敗れた。この結果,帝国はマケドニア・シリア・エジプトに3分された。

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