アンディペティット(その他表記)Andy Pettitte

現代外国人名録2016 「アンディペティット」の解説

アンディ ペティット
Andy Pettitte

職業・肩書
大リーグ選手

国籍
米国

生年月日
1972年6月15日

出生地
ルイジアナ州バトンルージュ

本名
Pettitte,Andrew Eugene

学歴
サンジャシント大学

経歴
大学2年の時、大リーグのヤンキースから22巡目指名を受けたが拒否。1991年ドラフト外でヤンキースに入団。’95年4月メジャーに初昇格、先発ローテーションの一角を担い、12勝の好成績を収める。’96年23歳で開幕投手を務め、チームの最年少記録を塗り替える。同年リーグ最多の21勝を挙げて最多勝のタイトルを獲得、初めてワールドシリーズを制覇した。2003年シーズン終了後、FA宣言してアストロズに移籍。2005年17勝9敗、防御率2.39でリーグ優勝に貢献。2006年シーズン終了後、ヤンキースに復帰。2007年9月対オリオールズ戦で通算200勝を達成。2010年限りで一度現役を引退するが、2012年メジャーに復帰し、2013年9月再び現役引退を表明した。メジャー18年間で、531試合に登板、先発521、256勝153敗0セーブ、2448奪三振、防御率3.85。最多勝1回(1996年)、オールスター選出3回(1996年,2001年,2010年)。ワールドシリーズに8回出場し、5度世界一となった。牽制名手として知られ、強いヤンキースの象徴として、デレク・ジーター、マリアノ・リベラ、ホルヘ・ポサダを加えた4人は“コア4”と呼ばれた。2007年米大リーグの薬物使用実態を報告した「ミッチェル・リポート」でヒト成長ホルモン(HGH)の使用を指摘され、肘の治療のために使用したことを認めた。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

最新 世界スポーツ人名事典 「アンディペティット」の解説

アンディ ペティット
Andy Pettitte
大リーグ

大リーグ選手
生年月日:1972年6月15日
国籍:米国
出生地:ルイジアナ州バトンルージュ
別名等:本名=Andrew Eugene Pettitte
学歴:サンジャシント大学
経歴:大学2年の時、大リーグのヤンキースから22巡目指名を受けたが拒否。1991年ドラフト外でヤンキースに入団。’95年4月メジャーに初昇格、先発ローテーションの一角を担い、12勝の好成績を収める。’96年23歳で開幕投手を務め、チームの最年少記録を塗り替える。同年リーグ最多の21勝を挙げて最多勝のタイトルを獲得、初めてワールドシリーズを制覇した。2003年シーズン終了後、FA宣言してアストロズに移籍。2005年17勝9敗、防御率2.39でリーグ優勝に貢献。2006年シーズン終了後、ヤンキースに復帰。2007年9月対オリオールズ戦で通算200勝を達成。2010年限りで一度現役を引退するが、2012年メジャーに復帰し、2013年9月再び現役引退を表明した。メジャー18年間で、531試合に登板、先発521、256勝153敗0セーブ、2448奪三振、防御率3.85。最多勝1回(1996年)、オールスター選出3回(1996年,2001年,2010年)。ワールドシリーズに8回出場し、5度世界一となった。牽制の名手として知られ、強いヤンキースの象徴として、デレク・ジーター、マリアノ・リベラ、ホルヘ・ポサダを加えた4人は“コア4”と呼ばれた。2007年米大リーグの薬物使用実態を報告した「ミッチェル・リポート」でヒト成長ホルモン(HGH)の使用を指摘され、肘の治療のために使用したことを認めた。

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