アーホンドザーデ(その他表記)Ākhūndzāde

改訂新版 世界大百科事典 「アーホンドザーデ」の意味・わかりやすい解説

アーホンドザーデ
Ākhūndzāde
生没年:1812-78

アゼルバイジャンの文学者。シェキ(現,アゼルバイジャンの一地方都市)の生れ。ロシアではアフンドフMirza Fatali Akhundovと呼ばれる。イラン・ロシア戦争の戦禍を避けてアゼルバイジャン各地を移り住みながらモッラー(ムッラー)の修行を積む。その後,西欧の諸学問を修め,カフカス総督府通訳官となり,終生この職にあった。この間,母語であるアゼルバイジャン語で多くの文学作品を発表。なかでも,《タムシーラート(戯曲集)》はペルシア語にも翻訳され,イランの〈立憲文学運動〉に多大な影響を与えた。アゼルバイジャンの近代戯曲の父とされる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アーホンドザーデ」の意味・わかりやすい解説

アーホンド・ザーデ
あーほんどざーで
Ākhund-Zāde
(1812―1878)

ペルシア戯曲家。アゼルバイジャン出身の商人の子としてカフカスに生まれる。1850年から1857年にかけてトルコ系アーザリー語で6編の喜劇を書いて「コーカサスゴーゴリ」とよばれた。喜劇を通して社会を風刺し、専制封建主義に反対した。作品はペルシア語に訳され上演されてイラン民衆に大きな影響を及ぼし、立憲革命運動の支えにもなったことで名高い。

[黒柳恒男]

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世界大百科事典(旧版)内のアーホンドザーデの言及

【トルコ文学】より

…彼はウズベク語の教育に革命前から専念し,革命後はウズベク民衆文学の伝統を踏まえた詩・戯曲を書いて現代ウズベク文学の基礎をつくった。 アゼルバイジャン文学では,アーホンドザーデが,アゼルバイジャン文学の近代化をほとんど独力でなしとげ,あらゆる文学ジャンルで作品を発表した。ロシアと西欧文学の影響を受けながら,民衆文学伝統に根ざした民族主義を主張し,イスラムの後進性を批判している。…

※「アーホンドザーデ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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