現代外国人名録2016 「イスマイルハニヤ」の解説
イスマイル ハニヤ
Ismail Haniya
- 職業・肩書
- 政治家 ハマス幹部 元パレスチナ自治政府首相
- 国籍
- パレスチナ
- 生年月日
- 1963年5月
- 出生地
- ガザ近郊
- 本名
- Haniya,Ismail Abd as-Salam Ahmad
- 学歴
- イスラム大学アラビア語専攻(ガザ)卒
- 経歴
- イスラム原理主義組織ハマスの精神的指導者アハメド・ヤシン師の秘蔵っ子だった。1948年イスラエル建国に伴う第1次中東戦争でガザ地区へ避難した両親のもと難民キャンプで生まれる。イスラム大学で原理主義運動に身を投じ、投獄歴は4回にのぼる。’92年ランティシらと厳寒の南レバノン国境へ追放され、400人余の仲間とともに越冬。ガザ市帰還後、同大学長に就任。’97年にイスラエルがヤシン師を釈放してからは同師の側近となる。2003年9月にはヤシン師と一緒にいたガザの建物にイスラエル軍のミサイルが撃ち込まれ、九死に一生を得た。2006年1月パレスチナ評議会選挙では“組織の顔”として比例区名簿1位に。同年3月首相に就任。“イスラエルの殲滅”を綱領に掲げるハマスの中で、比較的穏健な現実主義者と評され、ライバル関係にあるパレスチナ解放機構(PLO)主流派ファタハとの間で連絡調整役を果たす。2007年3月ファタハとの連立に合意して挙国一致内閣が発足、首相を続投。6月ハマスとファタハの軍事対立により、ファタハを率いるアッバス議長より首相を罷免され、連立内閣が崩壊。パレスチナ自治政府のアッバス大統領による内閣解散の命令を拒否してガザ地区で引き続き内閣を組織し、首相。2014年西岸政府との分裂状態が解消し、6月統一暫定政権が発足し、退任。長男はガザで人気のスポーツコメンテーター。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報