日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
イブラーヒーム・アル・クーニー
いぶらーひーむあるくーにー
Ibrahīm al-Kūnī
(1948― )
リビア領サハラ砂漠出身の作家。リビア南部のオアシスで中等教育を受けたのち、新聞の編集に携わり、やがてリビア大使館の文化担当官の職につき、ロシアを皮切りにポーランド、スイスと移り住みながら執筆を続けている。クーニーの作品は一貫してサハラに住むベドウィン(アラブの遊牧民)の生活に終始する。移動を常とするベドウィンは、定着民とは異なる文化をもち、それを堅持しながら、彼ら固有の価値観に従って生きている。「砂漠に帰属する作家」の名にふさわしいクーニーは、サハラに生きるトゥアレグ人の社会をその風土、生活慣行、精神傾向、砂漠の博物誌、伝説、その他生起する非日常的ドラマ等の諸相にわたりつぶさに描き出している。初めはリアリズムの色濃い作品が多かったが、20冊を越えたあたりからは砂漠に内在する精神世界を作品化し、観念的小説の傾向を深めている。彼の作品は、40冊に達している。
代表的な作品に、『ティブル』(1992)があるが、この作品もサハラ砂漠を舞台にしている。トゥアレグの貴族階級に属するウーハイドという名の男ときわめてまれな白黒まだらの乗用駱駝(らくだ)との間の物語である。ウーハイドと駱駝は互いの血を混ぜ合わせる極限的な体験を通じて「兄弟」の契りを結び、彼の妻も嫉妬(しっと)するほどの強い絆(きずな)で結ばれるようになるが、主人に対する駱駝の強烈な愛着が仇(あだ)になり、両者は凄惨な復讐(ふくしゅう)劇の犠牲となって果てる。この作品の冒頭には、『旧約聖書』から「人の子の結末と獣の結末とは同じ結末だ。これも死ねばあれも死ぬ。……」という一文が引用されているが、そのことからも明らかなように、サハラ砂漠という自然においては人間社会の価値基準はことごとく粉砕され、そこはすべての生き物が生と死を等しく貫徹する場となり、人間もその一つの類で、他の生き物に比してそれ以上でも以下でもない。トゥアレグ人の生活慣行や彼らのメンタリティを背景にして、駱駝と人間の不思議な絆が織りなされているが、定着民のそれとは異なるもう一つの文化の存在を鮮烈に告げる作品である。ほかに、『血を流す石』(1992)、『夜の草』(1997)などがあるが、『ティブル』とともにこれらも仏訳されている。
[奴田原睦明]
『奴田原睦明訳『ティブル』(1997・国際言語文化振興財団・刊、サンマーク出版・発売)』