翻訳|revenge
自分たちの集団に危害(典型的には殺害)を加えた加害者あるいは加害者の属する集団の他の成員に対して,同様の危害を加えかえすという復讐が社会的な制度として認められ,義務づけられている社会は少なくないし,歴史的にみれば世界中にみられる。復讐の義務が課せられるのは多くの場合,被害者に近い親族集団であるが,社会によって復讐の単位となる集団の範囲はさまざまである。また復讐の対象となるのも加害者本人というより加害者の属する集団全体であることが多く,その範囲は復讐を義務づけられる範囲と重なる。しかし復讐に加わるかどうかは,その範囲の境界近くにいる者にとっては戦略的に選択できる場合もあり,むしろ復讐という事件がその境界をつくりだすといったほうがよいかもしれない。
制度としての復讐は,単に人間の自然な恨みの感情や肉親への愛情,あるいは自衛本能といったものに帰することはできない。また,復讐制度の法的機能として殺人に対する抑止ということがよく挙げられるが,復讐が起こるのは多くの場合,むしろ自分たちの利益や名誉のために攻撃することが当然とされる相手との間であって,復讐制度はその攻撃を社会関係の一つとして規定するためには作用するが,攻撃そのものを抑止するためには必ずしも作用しない。攻撃や殺人が最も抑圧されるのは復讐の単位となる親族集団内部であり,そこでは復讐も禁じられている。つまり,復讐制度はまず,自分たちの集団と他の集団との区別をつくりだす。しかし制度としての復讐は,攻撃を外部の敵へと向けて集団内部の一体性を生みだすためのみの機構ではない。実際の暴力の応酬としてだけでなく,賠償の支払やかけひきと結びついた複合的な機構としての復讐は,社会関係を破壊するのではなく社会関係をつくりだし維持するためのコミュニケーションであり,そこには相手の集団を自分たちと同等の他者と認めたうえでのゲームが成立している。親族集団内で殺人を犯す者やまったくのよそ者は,復讐ゲームに加わるだけの対等な人間とみなされない。
国家をもたない社会では,婚姻や物の交換とともに復讐やそれに代わる賠償によって,親族集団を超えた公的な社会空間が出現する。復讐や賠償は集団間相互の関係を清算するわけではなく,後には負い目や負債を伴う関係が生じる。それは婚姻などと同様に,あるできごとを1回限りの関係でなく一種の負債や付けによる持続的な関係へと変える装置となる。国家をもつ社会では,公的な社会空間は国家によってつくられ統制されており,復讐の暴力も国家に独占される。復讐は,暴力の再分配として〈仇討〉のように支配者によって許可されるものとなるか,近代の国家におけるように一元的に統制されている公的な社会空間に反する私刑として禁止されるようになる。そこでは加害者との持続的関係も断ち切られ,恨みや負い目も個人に内面化されるものとなるのである。
→敵討(かたきうち) →サンクション →紛争
執筆者:小田 亮
一般的には,加害に対する自己防衛と怨憤をやわらげる心理的満足として行われるが,中国においては特有の復讐観が存する。名を重んずる中国民族は,現実肯定の精神とあいまって同時代人からの称賛と令聞を尊び,それゆえ外面的対応としての〈面子(メンツ)〉をことのほか重視する。したがって対人関係で受けた恥は一命にも値し,屈辱は等量以上の返報によって埋め合わさなければ体面が保てない。この面子への偏執が家族道徳,君臣関係の重視を根底にして復讐の肯定と礼賛を生み出した。復讐は主として自己の属する家族,君主が殺害されたことが原因となるが,中国ではそのほかに侮辱侵害に対して行われるのも上述の特質に起因する。復讐の礼賛は,またそれが単独で行われるほかに,多くの党与が協力し集団的襲撃をなすという現象も生み出す。それが乱世にあたれば反乱の勃発を誘因する。王莽(おうもう)末年の赤眉(せきび)の乱は,子を官に殺された母の復讐に端を発している。
復讐を人間としての重要な義務と認めることは,早く儒学の経典にみえ《礼記(らいき)》《周礼》《春秋公羊伝》が復讐肯定の思想を記す。中でも《公羊伝(くようでん)》は,最も強くそれを義務づけ,血族的には祖先の被った屈辱は百世代のちの子孫でもはらさねばならないとし,また父が君主による不当な殺戮を受けた場合,子の君主への報復も是認している。《公羊伝》が重視された漢代では,したがって復讐者は社会の非常な称賛を得て,復讐を法律上は禁止していたにもかかわらず,しばしば不問に付され,復讐者を減免することが行われた。公権力の遂行からいえば,私的制裁である復讐は当然禁止しなければならず,たとえば唐律においては復讐は全面的に禁止され,当事者同士の和解も厳禁している。しかし明清の律ではそれが若干緩和され,祖父母,父母が殺されたとき,子孫が即時に相手を殺しても無罪とし,和解の禁止をゆるめるなど事実上復讐が容認され,また元代の法律の影響をうけて金銭による賠償の規定も加えられるに至った。
執筆者:冨谷 至
法制史上は,違法行為が発生した場合に,被害者側が加害者側に対して行う血の復讐をいう。近世以前の国家では,国家内の権力は中央機関に独占どころか,十分に集中さえされておらず,このため,権力は分散状態にある。この状態は,時代をさかのぼるほどはなはだしい。このなかでは,各人は,自身の生命,身体,財産,自由および名誉の保護を国家機関に期待することができず,違法行為が発生した場合には,それに対する制裁を自身の手で加害者側に加えざるをえない。すなわち復讐であるが,この場合に復讐行為は近代国家におけるのとは異なり,あくまで適法行為として現れる。違法行為の発生により自動的に,両当事者および両氏族団体(ジッペ)間に敵対関係すなわち〈フェーデ〉が生まれ,これは復讐の成功をもって消滅する。この血の復讐の範囲は無制限であった。封建制の時代には,主君の復讐行為にはその家臣衆も参加する。しかし,とくに大権力者間の復讐行為は,農民,聖職者,商人などの弱者を犠性にするために,中世初期すでに,平和を願う王によりこれら弱者に特別の保護が与えられるようになり,復讐制は存置しつつも,裁判上または裁判外での,贖罪金(ブーセBusse,賠償金)の授受をもってする平和的なフェーデ解消手段が出現する。
10世紀末には,南フランスに生まれた〈神の平和〉運動が西ヨーロッパに波及し,初めて,教会の側からではあるが,復讐行為の制限の動きが出現する。この運動の精神は,中世の中期には,しだいに権力集中に成功する王または封建諸侯の世俗立法(ラント平和令)に諸種の形態で採り入れられて,また商業平和を望む都市の動きもあって,復讐行為は世俗的にも徐々に制限を大きく受けていく。ほぼ16世紀初頭には,大陸部では,復讐行為は全面的に禁止されるまでになり,こうして血の復讐は,たとえば王による特許のような例外的場合を除き違法行為に転じた。
執筆者:塙 浩
イスラム以前のアラブ社会では,復讐(アラブ語でサール)が制度として広くみられ,イスラム以後の時代にも伝統として残った。イスラム以前の時代では,殺人事件などを裁く公権力がないのが社会の常態であり,事件は私的な復讐を招いた。被害者の親族が加害者本人もしくはその親族に復讐するのが制度の原理であるが,その際の親族の範囲は慣習法の中ででも特定されていなかった。また人間一人の生命がみな等価とみなされていたわけではなく,性,年齢,社会的立場によって差があるものとされていたが,その基準も不定であった。そのため,復讐が新たな復讐を招くこともしばしばあり,その繰返しが,親族の範囲を部族レベルに広げて,大規模な戦争にまで発展することもあった。殺人は,時には金品で償われることもある。その金品を〈血の代償〉(賠償金)という。イスラム法では,同害報復(キサース)を原則とするとともに復讐よりは〈血の代償〉による事件の解決を求めている。
執筆者:後藤 晃
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
自らの利益を侵害された個人や団体が、その報復として加害者に対し害悪を加えること。復讐は復讐感情ともよびうる原始的な本能に根ざすものではあるが、歴史的には、無法な攻撃を防止したり、被侵害者の権威を維持・回復する手段でもあった。
フェーデFehde(ドイツ語)の伝統をもつゲルマン社会では、古くは、個人または公の利益を侵害する者に対する部族Sippeによる組織的な復讐が宗教的な信仰になり、制度としても確立していた。公の利益(人民や国家の利益)が害される場合には加害者は平和喪失Friedlosigkeitにより殺害されるに任されたり、部族から追放され、とくに部族外からの侵害に対しては血讐Blutracheとよばれる部族による復讐闘争が行われ、部族の一方または双方が致命的な損害を受け、死滅することさえあった。このような復讐闘争を回避する手段として、金銭で償う贖罪(しょくざい)金WergeldやタリオTalioとよばれる同害報復の原則が登場することになった。とりわけ、各部族を統一する国家が成立・発展するなかで、部族間の復讐闘争を避けるため国家的刑法が登場し、部族による復讐にかわって国家自らが侵害者(犯罪者)を処罰する法制度が確立するに至った。しかし、ゲルマン古来の伝統であるフェーデは、多くの国家が制限したり、禁止しようとしたにもかかわらず、近代国家が成立するまで生き続けた。
近代刑法では、国家が刑罰権を独占することになり、国家のみがこれを行使しうるから、個人であれ団体であれ被害者が加害者に対し復讐を行うことは禁止され、復讐がいずれかの犯罪を構成すれば処罰される。この点をわが国の刑法についてみると、1873年(明治6)の太政官(だじょうかん)布告により、かつて武士道上の美徳とされてきた「仇討(あだうち)」または「敵討(かたきうち)」は禁止されたばかりでなく、決闘やこれに関与する行為は、89年(明治22)に制定された「決闘罪ニ関スル件」という法律により処罰されることとなったし、さらに、復讐が相手の人身を侵害する場合には殺人・傷害・暴行等の罪により処罰され、判例には「村八分」の通告が脅迫罪にあたるとしたものがある。このように、復讐の思想は今日では否定されてはいるが、刑罰論において広くみられる応報刑論は、復讐の思想の名残(なごり)をとどめているといえようか。
[名和鐵郎]
復讐には、被害を感情的に補償するほかに、紛争を抑止する機能がある。ただし、復讐された側が復讐した側に再復讐すると報復が繰り返されやすく、社会集団間の長期全面紛争に発展することが少なくない。再復讐を抑止する政治権力がない未開社会では、この長期紛争が戦争そのものであることが多い。復讐が慣行として容認されていた民族はイスラム圏の周辺地域とオセアニア西部に散発的にみられた。南イタリアなどを含む前者地域では主として牧畜民が、後者ではかつて食人風習のあったとされる農耕民が、それぞれ復讐を慣行として認めていた例が知られている。日本の敵討は、他領に逃亡した殺人犯を藩法の地域制限を超えて処罰する制度で、被害者にもっとも近い目下の関係者が目上の被害者の死を補う、特殊化した復讐だった。日本の昔話に人間同士の復讐物語が少ないのは、敵討が武家の特権で、庶民にはなじみがなかった結果だろう。
[佐々木明]
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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【中世】
日本の中世社会においては,生存権をふくめた諸権利を自分(個人ではなく集団)の手で守るために実力を行使し,またこれらの諸権利に対する侵害に対して実力で報復する私闘が広く存在した。ここでは,親族集団を中心とし,主従集団など種々の集団のメンバーの攻撃に対する同じ集団に所属するメンバーの実力的復讐行為をすべて敵討と称していた。このような復讐そのもののありかたは,古くから世界諸民族に共通してみられ,種族保存の本能にもとづくものとされているが,日本の場合,親の敵討が他の復讐と異なった特別の観念にささえられ,他民族にみられるような賠償制を定着させることなく近代にまで継続したところにその特殊性がある。…
…もっとも敵討を除き,他はあまり行われず,幕府も奨励しなかった。しかし被害者の復讐感情は強く顧慮され,結果責任による下手人という刑はその例である。社会の集団的な制裁も失われず,鋸挽(のこぎりびき),放火犯の放火場所引廻し等が行われた。…
…他人の死の結果を,みずからの死で償うというものであった。結果責任,私的復讐の観念が強く残った刑罰であり,〈下手人を取る〉と称して武士の敵討に相当することを庶民が領主に頼って行ったともいえる。下手人(げしにん)【平松 義郎】。…
…また,面罵や笑いによるサンクションも,原初的には心理的制裁というより,そこなわれた共同秩序の回復のための儀礼という意味をもっていた。 浄化儀礼とは別の法的サンクションのもう一つの原初形態は復讐である。復讐は原行為の被害者またはその所属集団が加害者またはその集団に対して科す自救的サンクションであるが,国家なき社会における復讐の原理は,恨みなどの個人的感情によるのではなく,集団や社会的人格の間に成立している互酬的関係,すなわちある特定の状況の下では,ある特定の物や行為を相互に交換しなければならない権利と義務の体系としてあり,どのような場合にどのような復讐が作動するかということは規範として定着している。…
…【吉岡 一男】
[ヨーロッパ]
罰金の歴史については,未詳なところが多いが,ドイツを例にとれば,概略次のような展開過程をたどったといえる。古代には,私人間に違法行為が発生した場合,加害者側と被害者側との間に自動的に敵対関係(フェーデ)が生まれ,これは血の復讐により解消したが,すでに中世初期には,その制度とは別に,当事者間での賠償金(ブーセBusse,贖罪金とも訳される)支払を手段とする贖罪契約によって和解させられる傾向が生じた。そして,この事件が,公の裁判所で争われる場合には,そして,この場合にかぎり,裁判所側は判決を言い渡した賠償金額の,例えば3分の1を〈平和金〉の名義で自身に収納した。…
…ゲルマン古代ならびにゲルマン法において,違法行為が私人たる当事者の間に発生した場合に,被害者の所属する氏族団体すなわち〈ジッペ〉と,加害者のそれとの間に自動的に生じる敵対関係をいう。そしてこの関係は,基本的には,被害者側による血の復讐の成功をもって終結する。そこでは,国家に代わる私人による制裁(私刑),すなわち復讐が適法行為とされる。…
※「復讐」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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