ウィト
Johan de Witt
生没年:1625-72
オランダの政治家。ライデン大学で法律学などを学び,ドルトレヒトの法律顧問を経て,1653年28歳でホラント州議会の法律顧問に任命され,事実上オランダ共和国の宰相の地位につく。自らも商人の出であり,またアムステルダムの有力都市貴族の娘と結婚したこともあって,大商人による寡頭的支配を政治の理想としていた。総督職のオラニエ(オレンジ)家が,イギリスのスチュアート家と姻戚関係にあることが,オランダにとって最も危険であるとして,同家を国家の要職から排除することに腐心した。彼の在職中,オランダは3度にわたる英蘭戦争や北方戦争,フランドル戦争など多くの戦争に巻きこまれ,多難をきわめたが,巧みな外交手腕でこれを乗りきり,17世紀オランダの黄金時代の指導者としてその名声を高めた。しかし72年フランス軍の侵入(オランダ戦争)で祖国が危機に陥った時,総督派の民衆によりハーグで虐殺された。
執筆者:佐藤 弘幸
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ウィト
オランダの政治家。デ・ウィトとも。ドルドレヒトの都市貴族出身。1653年ホラント州議会の法律顧問となり,事実上オランダ共和国の最高指導者。総督派をおさえて州主権と商人層の利害を代表,2度の英蘭戦争(イギリス・オランダ戦争)を指導した。1672年フランス軍侵入の際,ハーグで虐殺された。
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世界大百科事典(旧版)内のウィトの言及
【ウィリアム[3世]】より
…母はイギリス国王チャールズ1世の長女メアリーで,ウィレム自身のちにチャールズ1世の孫メアリー2世(ジェームズ2世の娘)と結婚(1677)しているので,イギリスのスチュアート王家とは姻戚関係にある。オランダは16世紀後半にスペインから独立したものの,たびたびフランス王ルイ14世の侵略をうけ,国内ではアムステルダムの商人層を支持基盤とするヨハン・デ・ウィト派と中産的生産者層を基盤とするオラニエ派が対抗していた。ウィレムは当時優勢であったウィト派の監督のもとに育てられ,ライデン大学卒業後,国務会議の一員となることを許された。…
【オランダ】より
…バルト海貿易を基礎にイギリス,フランス,地中海沿岸地域のあいだの中継貿易を発展させ,さらにアジア(1602年オランダ[東インド会社]設立),西インド諸島に進出して巨富をえ,アムステルダムはヨーロッパ最大の貿易港,金融市場になった。アムステルダムをはじめホラント州の諸都市には,商業とともに工業も発達し,諸都市の富裕な市民層を基盤として,絵画,建築,文学,学問などが急速に発達し,17世紀中葉のオランダは大政治家ウィトの指導のもとに,経済的繁栄と文化隆盛の絶頂に達した。 しかし,17世紀の後半オランダはその経済的繁栄を嫉視するイギリスやフランスの挑戦を受け,2度にわたる[英蘭戦争](1652‐54,1665‐67)とフランス軍の侵入(1672)にあい,国力とともに経済と文化はしだいに後退した。…
【オランダ共和国】より
… 経済,文化の絶頂期にあった17世紀中葉のオランダは,そのゆえにイギリスやフランスから経済的政治的挑戦を受けた。2度の英蘭戦争(1652‐54,1665‐67)はこの国にとって大きな災厄だったが,総督ウィレム2世が早逝したのち始まった第1回無総督時代(1650‐72)の共和国を指導した議会派の大政治家ウィトと名提督トロンプ,ロイテルらの活躍によって,オランダは難局を乗り切ることができた。しかし72年,英仏連合艦隊と強大なフランス陸軍が襲ったとき,オランダの国力は大きな痛手を被り,経済的繁栄の活力は失われた。…
【スピノザ】より
…これは生前彼の名を付して公刊された唯一の書である。同年フォールブルフに移り,オランダ共和国の政治指導者[J.deウィト]と親交を結び,その自由主義政策を支持し,神学の干渉に対して思想の自由を擁護するために,旧約聖書の文献学的批判を行い,《神学政治論》を書いた。この書は70年に匿名で出版されたが,スピノザの書とわかり,彼は極悪の無神論者とみなされることになった。…
【生命表】より
…生命表との関係では,年齢別の死亡数をみる目が単なる数値として観察するのではなく,それを生みだした現実の社会生活とのかかわりあいで観察しようとする点で特徴点をもつ。一方,このような生命表の学問的な流れとは別個に,しかも独自に,数学の方向から生命表の近代的創造に貢献したのがオランダ人のウィトとイギリス人の天文学者[E.ハリー]である。前者は当時のオランダの財政危機を救うため,イギリスなどで行われていた生命年金を国家が行うという方策を考え,数千人の生命年金契約者から死亡法則を導いたとされ,これに由来する死亡表はグラントのそれより正確なもので,このためそれまでのウルピアヌスの生命表の方法はまったく用いられなくなってしまった。…
※「ウィト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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