ウォーレンビーティ(英語表記)Warren Beatty

現代外国人名録2016 「ウォーレンビーティ」の解説

ウォーレン ビーティ
Warren Beatty

職業・肩書
俳優,映画監督プロデューサー

国籍
米国

生年月日
1937年3月30日

出生地
バージニア州リッチモンド

本名
Beatty,Henry Warren

学歴
ノースウェスタン大学中退

受賞
アカデミー賞監督賞(第54回,1981年度)〔1982年〕「レッズ」,ゴールデン・グローブ賞新人賞(第19回,1961年度)「草原輝き」,ゴールデン・グローブ賞主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門,第36回,1978年度)「天国からきたチャンピオン」,ゴールデン・グローブ賞監督賞(第39回,1981年度)「レッズ」,D.W.グリフィス賞主演男優賞〔1991年〕「バグジー」,ゴールデン・グローブ賞主演男優賞(第49回,1991年度)〔1992年〕「バグジー」,ベネチア国際映画祭特別功労賞(第55回)〔1998年〕,アカデミー賞アービング・タールバーグ記念賞(第72回,1999年度)〔2000年〕

経歴
ニューヨークのステラ・アドラー演劇学校で演技を学び、1959年「バラの喪失」のブロードウェイの舞台に抜擢される。’61年「草原の輝き」で映画デビュー。’67年米国映画に新風を吹きこんだ「俺たちに明日はない」で製作も担当。その後、共同で脚本執筆、監督も手がける。’78年主演・製作・共同脚本・共同監督したロマンチック・コメディ「天国から来たチャンピオン」が大ヒット。’81年には主演・製作・監督・共同脚本した「レッズ」でアカデミー賞12部門にノミネートされ、監督賞を受賞。以後、作品には恵まれなかったが、’90年有名な劇画を映画化した「ディック・トレーシー」で自ら監督し、人気歌手マドンナと共演、久々の大ヒット作品になる。華麗な女性遍歴は有名で“電話魔”“希代の色事師”“マスコミ嫌い”と数々のレッテルを貼られる。’92年女優のアネット・ベニングと結婚。他の出演・製作作品に映画「シャンプー」(’74年,共同脚本も)、「イシュタール」(’87年)、「バグジー」(’91年)、「めぐり逢い」(’94年,脚本も)、「ブルワース」(’98年,監督・脚本も)、出演作に「ローマ哀愁」(’61年)、「おかしなレディ・キラー」(’75年)、「フォルテ」(2002年)などがある。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

20世紀西洋人名事典 「ウォーレンビーティ」の解説

ウォーレン ビーティ
Warren Beatty


1937.3.30 -
米国の俳優。
バージニア州リッチモンド生まれ。
父は指揮者、母は元俳優。姉はシャーリー・マクレーン。ステラ‐アドラー演劇学校で学ぶ。1959年ブロードウェイの舞台の「A Loss of Roses」で好評を得た。’61年「草原の輝き」の主役で華やかなデビュー。’67年製作も兼ねた「俺たちに明日はない」に出演。’81年「レッズ」で監督も務め、アカデミー監督賞を獲得。ハリウッドに刺激を与える多彩な才能を持つ二枚目で、ミスター・ハリウッドと呼ばれる。ナタリー・ウッド等との華麗な恋愛遍歴も有名。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「ウォーレンビーティ」の解説

ウォーレン ビーティ

生年月日:1937年3月30日
アメリカの俳優;映画監督・プロデューサー

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android