デジタル大辞泉 「天国」の意味・読み・例文・類語
てん‐ごく【天国】
2 そこで暮らすものにとって、理想的な世界。何にも煩されない、快適な環境。楽園。「野鳥の
[類語]楽園・極楽・楽天地・楽土・浄土・パラダイス・エデン・エリュシオン
一般に,天上にあるとされる神的世界をいう。比喩的に至福の理想郷=楽園の意で用いることもあり,その場合はしばしば地獄と対比される。特にユダヤ教,キリスト教,イスラムの伝統における他界観念として重要で,〈天国〉の語もkingdom of heavenの訳である。また,パラダイスparadise(ペルシア語pairidaēzaに由来し,原義は〈囲われた場所〉ないし〈園〉で,〈エデンの園〉とも同一視される)や,〈神の国kingdom of God〉と同じ意味で使われることも多い。
古代バビロニアでは,世界は天上界と地上界と冥界からなる3層の建造物と考えられ,人間の住む地上界のはるか上方には,地上をアーチ状に覆う聖なる天蓋があると信じられていた。そして聖なる天蓋に覆われた天空には,太陽や月や星がちりばめられ,その最上方の中央には神々の住まう聖なる玉座があるとされた。天上に神々の住まう国があるという古代の宇宙論的思考は世界中のほとんどの宗教にみられるが,そこでは天空が永遠の光に満ちた場所であるのに対し,地上は暗黒の領域であり,人間が生きながら暗闇から脱けだして光の空間に立ち入ることは絶望的であるだけでなく,厳しく禁じられているという見方がゆきわたっていた。天国は神々だけの世界であり,神の定めた条件に合致した者だけが,特別に入ることを許されたのである。それが暗闇に住まう人間に対する救済であり,解脱であった。ユダヤ教についてみれば,ユダヤ教徒が天国を神の定めた律法にかなった正しい人の死後の世界と考えるようになったのは前3世紀から前2世紀にかけてのことであり,この時期にメシアの支配をめぐる天国の観念がユダヤ教の教師(ラビ)によって体系化されていった。その結果,生前正しく生きた人は,パラダイスで神との生活に入るよう定められるのに対し,悪しき人は,死後行われる〈最後の審判〉において,肉体の死に続いて魂の死という第2の死を経験し,永遠の苦悩にさいなまれるという思想が民衆の間に固定化していった。
ユダヤ教の流れをひくキリスト教には,こうした天国の思想が当然色濃く反映しているが,しかし,それとは違った新しい解釈が新約聖書の著者たちによって表出され,全体としてユダヤ教とは異なる独自の観念が展開されている。それによれば,天国とはキリストを信じる者の永遠の故郷であり,キリストはそこから来て,そこへ帰っていったのであり,しかも今なおそこで祭司として,彼に従う人々のために働いている(《ヘブル人への手紙》9:24)。一方,地上に残されたキリスト教徒たちには,天国のキリストの栄光はおぼろげにしかわからない(《ヨハネの第1の手紙》3:2)。そこで,神は天国の奥義を地上の人々に伝えるために,天使たちを従えた聖霊を地上につかわされる(《コリント人への第1の手紙》2:10,《ペテロの第1の手紙》1:12)。このようにして,やがて神の創造の業(わざ)が完成される日がくる。その日には,天と地はひとつになり,すべては新しくなる(《ペテロの第2の手紙》3:12~13,《ヨハネの黙示録》21:1)。新約聖書の天国をめぐるこうした観念は,いずれも宇宙論的思考に貫かれており,それは外典のグノーシス的宇宙論をも含め,古代人の幻想と結合して原始キリスト教の終末論や再臨論に絵画的な色彩を与えつつ,古代から中世へと引き継がれてきた。しかし,近代科学の画期的発展は,従来の宇宙論的幻想を遠くへ押しやり,キリスト教会に対し,それに代わる新しい天文学や宇宙の理論をつきつけた。その結果,それを擁護する宗教との間にはげしい葛藤が生じ,それが思想史の大きな事件を形成した。とりわけドイツの神学者R.ブルトマンの提唱した新約聖書のパラダイスの表象とその解釈をめぐる問題(非神話化)は,聖書学者の主要テーマとなり,神話的表象に彩色された古代宇宙論の再解釈にかかわる論争として大きな注目を集めた。
執筆者:山形 孝夫
コーランでは,天国は一般に〈楽園janna〉と呼ばれるが,このほかに〈エデンの園janna `adn〉〈エデン`adn〉〈フィルダウスfirdaws〉〈終(つい)の住居の園janna al-ma'wā〉などとも呼ばれる。この世において信仰し,善行に励んだ人たちがその報いとして住むことを許される楽園のこと。彼らはそこで,こんこんと湧き出る泉のほとり,緑したたる木陰で,うるわしい乙女にかしずかれ,たくさんのおいしい食物や酒や飲物を心ゆくまで味わい,なんの気遣いもない生活を送る。なかでも最高の喜びは神を見ることだといわれる。このようにコーランは,地獄の責め苦に対比して,天国の幸福や喜びを感覚的に描き出している。このほかにコーランは,アダムとイブの楽園追放やムハンマドの〈終の住居の園〉への〈天上飛行〉(ミーラージュ)のことも述べており(53章13~16節),これらの異同の問題が後に論議されることになる。コーランの天国の描写の解釈について,それをそのまま文字どおりに解する人々と,それをまったくの比喩的表現ととる人々の両極端の間にさまざまな立場がある。
執筆者:中村 廣治郎
理想郷たる天国が,死者が赴く超自然の世界にあるのか,この世のどこかに現存するのかは,必ずしも明瞭に区別されていない。そもそも自然と超自然の区別が必ずしも明瞭でなかったことは,古代ギリシアのヒュペルボレオイの国や古代中国の崑崙(こんろん)山などの例でもわかる。明らかに超自然に属する理想郷の場合も,これを具体的に説明し図解する場合は理想化された現世的一情景とするのがふつうである。
ユダヤ・キリスト教徒が見る天国ないし楽園には二つの類型があり,それが聖書の冒頭と末尾に記されている。第1は〈エデンの園〉で,それが生命を養うための果樹および水の豊かな理想郷であることが述べられている(《創世記》2~3)。エデンは地名であり,シュメール語のエディヌedinu(荒地,砂漠の意)から派生した語といわれ,要するにエデンの園とは荒地中のオアシスのようなものと考えられる。聖書には,このエデンの園から川が流れ出て,それがピソン,ギホン,ヒデケル(ティグリス),ユフラテ(ユーフラテス)の四つの川に分かれたとある。後2者は現実に存在する川であるが,前2者がどこの川かは不明で,結局この記述からはエデンの園の現実の位置を引き出すことはできない。しかしこの楽園の概念が,乾燥した砂漠ないし荒野の住人の心の中におのずから生じた理想郷であることは確かである。このエデンの園は,キリスト教美術では〈アダムとイブの創造〉〈原罪〉などの諸場面で,果樹豊かな園として初期キリスト教時代以来描写され,他方,四つの川はむしろ四福音書家を象徴的に表すものとして,神の小羊の立つ小山から流れ出る川へ鹿が水を飲みにくる場面として,5世紀以降その表現を見た(ローマ,サンタ・プラッセデ教会など)。このような楽園の理想像はオリエントや西洋の庭園の理想的な型として,王宮庭園,修道院の回廊内庭,さらにイスラム文化圏の庭園に踏襲された。
それは,東洋の庭園が形式はまったく異なるものの,一種の理想郷の表現として意図されたのと似ている。他方,樹木とくに果樹は,独立して表現される場合も,しばしば単純化された楽園としての意味をもち,その周辺に鳥獣が遊ぶさまを描写したものが,キリスト教およびイスラムの美術に数多く見られる(パレルモ王宮のモザイクなど)。さらにキリスト教教会堂が植物彫刻で満たされ,イスラムのモスクが植物の形態に由来する文様のモザイクやタイルで一面に飾られるのも,そこに楽園表現の意図が働いているものと見ることができる。
天国ないし楽園の第2の類型は,聖書の末尾すなわち《ヨハネの黙示録》21章に記されている〈新しきエルサレム〉である。これは,地上で正しく生きた義人がその報いとして赴く理想の都で,12種の宝石で飾られた城壁に囲まれたその町の大路は純金でできていて12の真珠の門があった,と記されている。これは,この地上の物のうち黄金や宝石を最高のものとして尊ぶ人々の夢見る理想郷であり,類似した考えは古代インドにもある(例えば《阿弥陀経》の記述する仏国土)。同じ《ヨハネの黙示録》の22章には,〈神と小羊の玉座から流れ出る生命の水の川〉についての記述があり,川の両岸に月ごとに12種の実を結ぶ生命の樹があると説かれている。これはエデンの園の記述に近い。以上のほか,〈最後の審判〉の場面の一部に〈天国〉の描写があるが,ここでは場所そのものより人間の表現に主眼が置かれており,善人たちの群れを描くか(パドバ,スクロベーニ礼拝堂のジョットの壁画など),《ルカによる福音書》16章19~31節にもとづく〈アブラハムに抱かれる霊魂〉を描くことになる(モアサック,サン・ピエール旧修道院の浮彫など)。13世紀のゴシック教会堂では,善人たちの徳を擬人化した〈天徳〉の乙女たちの群れを天国の表現とすることも行われた(シャルトル大聖堂北入口など)。
→極楽 →地獄 →天 →楽園
執筆者:柳 宗玄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
天上にあるとみなされる理想的な世界。来世の世界、他界とされ、現世または地獄に対して用いられることが多い。
死者の赴く世界として、暗い地下の世界が考えられたが、他方では明るい天上の世界も考えられてきた。後者のなかに、北欧神話の神オーディンOdinの宮殿であり英雄の住むところとされるワルハラValhalla、古代メキシコでは貴族の生まれるところとされる「太陽の都」などがある。ここには天国を、ただ死後の生命の存続するところとみるばかりでなく、生前の社会的地位を反映したり、社会への貢献に対する報酬がみられるところとする考え方がある。
[鈴木範久]
やがて、それに倫理性が加えられると、善人の赴く天国は、悪人の落ちる地獄からは、いっそうはっきり区別される。古代ギリシアのエリシオンElysionは死後善人の住む世とされている。古代エジプトの宗教やペルシアのゾロアスター教においては、死者は生前の行為に従って審判にかけられ、天国か地獄かのいずれかに行くことを定められた。ところで、この世においては、悪人が栄えるのに反して善人が不幸にあうことがしばしばあり、神ははたして公平なのかという疑問が生じる。天国の観念は、そのような問いかけに対し、一つの有力な解答を与えるものであった。キリスト教やイスラム教の天国や、仏教の浄土信仰における極楽は、倫理的に優れた人が行くところだけではなく、なんの善行がなくても、幼児のような「信」さえあればよい、との思想も展開している。
天国においては、神とともに、霊魂または再生した体で住み、自ら神になる場合もある。そこでは美しい花々が咲き乱れ、清らかな水が流れ、たえなる音楽が聞こえる。感覚的にも楽園、理想郷として描かれることが多い。一般に暑熱地帯では「涼しい風」、乾燥地帯では「清らかな水」がうたわれていて、生前に居住する地域で憧憬(しょうけい)されるものが描写されている。
天国は、このように、神々が住み、死者のなかでも英雄や善人や信仰厚い信者の住むところとされ、人間の死の問題に大きな答えを与えているが、同時に、それが現世での生き方も定めることになる。もし天国がなかったとしたならば、現世では、もっと刹那(せつな)的、享楽的に生きる人が多く出ることになろう。
[鈴木範久]
進んだ宗教思想においては、天国は、かならずしも来世に求められるものではなく、この同じ時間の未来に出現が期待されたり、人々の心の内部にあるものとされる。キリスト教で、ときに「神の国」と同一視される天国は、このような世界である。
天国を、他界はもちろん、遠い未来や心のなかの世界に求めるのでなく、現実のこの世に実現させようとする「神の国」運動もみられる。中国における太平天国運動は、洪秀全(こうしゅうぜん)を指導者として「太平天国」を地上に建設することを図った運動である。大本(おおもと)教では、教祖の出口ナオは「三千世界」の立て替えを説き、それから分かれた世界救世教の岡田茂吉(もきち)も、熱海(あたみ)に「地上天国」といわれるものを打ち立てた。天国をこの世に建設しようとする運動は、人々の世直しの願いを反映するものである。そのため、時の体制からは弾圧を受けることが多い。しかし、現実に建設することがたとえ困難であったとしても、そのような運動が新しい社会と時代とをもたらす口火になる役割はよくみられる。
[鈴木範久]
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…昇天図の下辺に,よみがえった人々(《コリント人への第1の手紙》15:52)も小さく付加して,この原始的な審判図は形成されたといえる。これに後になって必要な要素,すなわち十字架,大天使ミカエル,善人の群れと悪人の群れ,天国,地獄などが加えられ,中央高所に君臨する審判者キリストを中心に構図を作って,本格的な〈最後の審判〉図像が実現される。 このような審判図像について,その主となった典拠が《マタイによる福音書》によるものと,《ヨハネの黙示録》20章によるものとの2者に大別され,さらに2者の混合したものがあらわれる。…
…また新約聖書にはゲヘナのほかにギリシア以来のハデスの語も用いられているが,これはもっぱら死者の霊の赴くところとされ,ゲヘナが悪しき者に永遠の刑罰を加える場所とされているのと好対照をなしている。 キリスト教の地獄の観念を体系化し,それに感覚的な肉付けを行ったのはカトリック神学であるが,とりわけ地獄と天国のあいだに煉獄(れんごく)を設定したところに特徴がみられる。煉獄は死者が一時的な浄(きよ)めのために赴くところであるが,このような地獄―煉獄―天国の三界遍歴を主題にした宗教文学の代表がダンテの《神曲》である。…
…これによって,死後の生という経験的に立証することのできない事象が,人々の心象世界のなかにある種の実在感をもって根をおろすことができるのである。仏教やキリスト教のような組織宗教の場合には,こうして呈示される他界のイメージは,天国や極楽にしても地獄にしても,一応の一貫性をもっているが,組織化の進んでいない宗教や民間信仰の場合は,互いに矛盾するいくつものイメージが共存していることが多い。たとえば日本の民俗宗教においては,山岳の頂きを他界の在所とする山上他界観や,海の彼方に他界があると考える海上他界観,あるいは洞窟などを他界の入口とみなすような地中(地下)他界観が併存している。…
※「天国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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