日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウルトラボックス」の意味・わかりやすい解説
ウルトラボックス
うるとらぼっくす
Ultravox
イギリスのロック・グループ。おもに1970年代後半から1980年代前半にかけて、パンク/ニュー・ウェーブ、テクノポップ、ニュー・ロマンティクス(1980年代前半のイギリスで流行した、ファッション・モード重視型のロックのスタイル)といった、複数のスタイルにまたがる独特のサウンドで知られる。同じバンド名でも1970年代、1980年代、1990年代ではメンバーから音楽性まで、かなりさま変わりしていることも特徴。
1970年代の第1期ウルトラボックスは、バンド名もメンバーも転々としたまま、実験的な音楽制作を続けていたジョン・フォックスJohn Foxx(1947― 、ボーカル)と盟友クリス・クロスChris Cross(1952―2024、ベース、シンセサイザー、ボーカル)が、スティービー・シアーズStevie Shears(ギター、ボーカル)とウォーレン・カンWarren Cann(1952― 、ドラムス、ボーカル)に、ビリー・カリーBilly Currie(1950― 、キーボード、バイオリン)を加え、1976年グループ名をウルトラボックスとして活動開始。ブライアン・イーノや、のちにU2やXTCなどをプロデュースすることになるスティーブ・リリーホワイトSteve Lillywhite(1955― )らとの共同プロデュースで、デビュー・アルバム『ウルトラボックス!』(1977)をリリース。フォックスの声質やデカダンな曲調から、「第二のロキシー・ミュージック」という評判を得るが、この時期のサウンドは、まだパンクの重力圏から完全に脱しきれてはおらず、そうしたトーンは同年のセカンド・アルバム『ハ! ハ! ハ!』まで続く。
そして1978年、サード・アルバム『システム・オブ・ロマンス』をリリース。クラフトワークやカンをはじめ、幾多のジャーマン・エレクトロニック系アーティストを手がけたコニー・プランクConny Plank(1940―1987)のプロデュースによる同作は、シアーズからロビン・サイモンRobin Simonにギタリストが交替したことも手伝って、パンク色が大きく後退し、ヨーロッパ調の耽美(たんび)的な雰囲気が全編に漂う仕上がりとなる。リズム・マシンやシンセ・ベースなど、エレクトロニクスの効果的な導入もプラスとなり、同作はフォックス在籍時の第1期ウルトラボックスの最高傑作とされ、後世にはテクノポップの名盤の1枚として、しばしば選ばれるようになる。しかし商業的には同作は成功せず、フォックスとサイモンが脱退、バンドは活動休止状態に入る。その後、フォックスはエレクトロニクスとアコースティックを絶妙にブレンドした方向性のソロ作品で日の目をみる。
皮肉なことにバンド活動休止後、ゲーリー・ニューマンGary Numan(1958― )が「僕が師と仰ぐのは、ジョン・フォックスだ」と発言したことをきっかけに、この第1期ウルトラボックスが再評価されることになる。かくして活動再開を決断した残りのメンバーは、元リッチ・キッズ、シン・リジー、ビサージ等のキャリアをもつミッジ・ユーロMidge Ure(1953― 、ギター、ボーカル)を招き寄せ、第2期ウルトラボックスを始動。1980年にリリースされた『ビエナ』では、フォックス在籍時代とはうって変わって、ユーロのもつポップ・センスが前面に出され、哀愁や叙情性と聴きやすさを兼ね備えたエレクトロニック・ポップ・チューンが並び、日本でも収録曲「ニュー・ヨーロピアンズ」がCMソングに使われてヒットするなど、各国で商業的成功を収める。この傾向は次作『エデンの嵐』(1981)へと継承され、結果、第2期ウルトラボックスは、スパンダー・バレエ、ヒューマン・リーグ、ヤズー、ABCらと並ぶ、ニュー・ロマンティクスを代表するグループとして一世を風靡(ふうび)する。ユーロをフロントマンに据えた第2期は、1986年の『U-Vox』まで続いたが、同作を最後にバンドはふたたび活動休止。ユーロもソロに転向する。
1992年、キーボードのカリーが主導して、第3期ウルトラボックスが再始動する。往年の名曲「ビエナ」の1992年度ミックスを皮切りに、新体制によるフル・アルバム『リベレーション』を1993年に発表しても、時代からずれたインダストリアル・ロック風の内容は大きな支持を得られなかった。
[木村重樹]