ブライアンイーノ(英語表記)Brian Eno

現代外国人名録2016 「ブライアンイーノ」の解説

ブライアン イーノ
Brian Eno

職業・肩書
ミュージシャン,音楽プロデューサー

国籍
英国

生年月日
1948年5月15日

出生地
フォーク州ウッドブリッジ

本名
Eno,Brian Peter George St.John Baptiste de la Salle

グループ名
旧グループ名=ロキシー・ミュージック〈Roxy Music〉

学歴
アートスクール〔1969年〕卒

経歴
早くから実験音楽関心を持ち、アートスクール卒業後にロンドンに出てロックバンドを結成。1971年ブライアン・フェリー率いるロキシー・ミュージックに加入し、’72年デビューアルバム「ロキシー・ミュージック」ではリミックス手法シンセサイザーの導入を図るなど、先鋭的な作風を見せて高く評価され、全英トップ10入りするヒットとなった。バンドでは音楽的なイニシアチブをとっただけでなく、宇宙人的なファッションで知られ、ヨーロッパ風のダンディズムを醸し出すフェリーと人気を二分したが、’73年セカンドアルバム「フォー・ユア・プレジャー」のあと脱退。’74年初のソロアルバム「Here Come The Warm Jets」を発表。以後、ソロとして活動を進める傍らキング・クリムゾンのロバート・フリップとのコラボレーションや素人楽団ポーツマス・シンフォニアのプロデュースを行った。’75年実験的な音楽の専門レーベル、オブスキュアを設立、ハロルド・バッド、ジョン・ハッセル、デービッド・ドゥープらの作品を紹介するとともに、自らアルバム「ディスクリート・ミュージック」を発表してアンビエント・ミュージック(環境音楽)の端緒を開いた。’77年以降はデビッド・ボウイのアルバム「ロウ」「ヒーローズ」「ロジャー」の制作に参加。さらに’79年環境音楽の専門レーベル、アンビエントを設立し、空港向きの環境音楽集として制作した「Music For Airport」がヒット。’70年代後半にはニューヨークに活動の拠点を移し、パンク・ニューウェーブの流行時にはウルトラヴォックス、ディーボトーキング・ヘッズといった若手バンドとの交流やプロデュースも行い、ムーブメントの隆盛を支えた。’83年初来日。その後もプロデューサーとしてU2の「ヨシュア・トゥリー」を大ヒットに導いた他、ビデオ制作も開始し、アート関係の本も出版するなど、ロック、実験音楽、民族音楽などへの幅広い目配りをしながら多方面にわたり活動。’95年マイクロソフトのパソコン用OS「ウインドウズ95」の起動音を手がけ話題となった。他のアルバムに「テイキング・タイガー・マウンテン」「アナザー・グリーン・ワールド」「ネロリ」「ドロップ」「アナザー・デイ・オン・アース」「LUX」などがある。またデービッド・バーンと組んだアルバムに「ブッシュ・オブ・ゴースツ」(’81年)、「エヴリシング・ザット・ハプンズ・ウィル・ハプン・トクデイ」(2008年)がある。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

20世紀西洋人名事典 「ブライアンイーノ」の解説

ブライアン イーノ
Brian Eno


1948.5.15 -
音楽家,プロデューサー。
イングランド南東部のウッドブリッジ生まれ。
ロクシー・ミュージックにシンセサイザー奏者として参加する。その後、ロクシーを辞めロバート・フリップらとアルバムを発表する。ビデオなど映像と合わせて、実験音楽をわかりやすい形で聞かせる環境音楽の代表的な存在である。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「ブライアンイーノ」の解説

ブライアン イーノ

生年月日:1948年5月15日
イギリスの音楽家;音楽・ビデオプロデューサー

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブライアンイーノ」の意味・わかりやすい解説

ブライアン・イーノ
ぶらいあんいーの

イーノ

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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