日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロキシー・ミュージック」の意味・わかりやすい解説
ロキシー・ミュージック
ろきしーみゅーじっく
Roxy Music
1970年代イギリスのグラム・ロック(きらびやかに着飾ったミュージシャンによる退廃的な雰囲気を強調したロック)を代表するグループ。1970年にブライアン・フェリーBryan Ferry(1945― 、ボーカル)はグレアム・シンプソンGraham Simpson(1943―2012、ベース)とともに前身グループのロキシーを結成する。すぐにアンディ・マッケイAndy Mackay(1946― 、サックス)とブライアン・イーノ(シンセサイザー、テープ)、デクスター・ロイドDexter Lloyd(ドラムス)、ロジャー・バンRoger Bunn(1942― 、ギター)が参加。デモテープを制作するが、アメリカに同名のグループが存在することがわかり、ロキシー・ミュージックと改名する。
それと前後してバンとロイドの2人がグループを脱退、ポール・トンプソンPaul Thompson(1951― 、ドラムス)とデビッド・オリストDavid O'List(1948― 、ギター)が加入。1972年になるとオリストは解雇され、フィル・マンザネラPhil Manzanera(1951― 、ギター)が正式メンバーとして加入する。
マンザネラ加入の直後、グループはアイランド・レコードと契約を結び、ファースト・アルバム『ロキシー・ミュージック』(1972)を録音するが、リリース直前にシンプソンが脱退。臨時にベーシストのリック・ケントンRik Kentonを加入させるが、以後正式なベーシスト不在のままグループは活動を続けることになる。
『ロキシー・ミュージック』はいきなり全英でトップ10入りするヒットとなり、当時人気のあったT・レックスやデビッド・ボウイらに続く、グラム・ロックの新星として支持を集めた。1973年にはセカンド・アルバム『フォー・ユア・プレジャー』を発表、全英トップ5入りを果たす。しかしフェリーと並ぶグループの看板であったイーノが同年7月に脱退し、以後のロキシー・ミュージックは数多くのメンバー・チェンジを繰り返しながら、フェリーのワンマン・バンドの色合いを濃くしていく。
サード・アルバム『ストランディッド』(1973)は全英1位の大ヒットとなり、以後『カントリー・ライフ』(1974)、『サイレン』(1975)とリリースするアルバムは徐々にアメリカでも評価を得るようになった。しかしこのころにはフェリーをはじめ、マンザネラやマッケイらのソロ活動が盛んになり、1976年6月にロキシー・ミュージックはグループとしての活動を一旦停止。解散説もささやかれた。
しかし1978年になると再びフェリーを中心にグループは再結集し、『マニフェスト』(1979)、『フレッシュ・アンド・ブラッド』(1980)をリリース。フェリーのドラマティックなボーカルを中核に据えたAOR(Adult Oriented Rock。落ち着いたサウンドを持つ大人向けのロック・ミュージック)的なサウンドが目立つようになる。そして正式なアルバムとしては最後のものとなった『アバロン』(1982)では、フェリーの緻密なサウンド・プロダクションが全面に行きわたり、優れたポップ・ミュージックとして高い評価を受けることになった。
『アバロン』発表後、1983年までロキシー・ミュージックは大規模なワールド・ツアーを行い、来日公演も果たす。ツアー終了と同時にグループは活動を停止し、フェリーは1984年に解散を表明した。
[増田 聡]
『『21世紀へのROCKの遺産 音楽専科復刻シリーズ13 The Gram Years』(2001・音楽専科社)』