ウータント(英語表記)U Thant

改訂新版 世界大百科事典 「ウータント」の意味・わかりやすい解説

ウー・タント
U Thant
生没年:1909-74

ビルマ(現,ミャンマー)の政治家で,第3代国連事務総長。ラングーン大学卒業。第2次世界大戦後反ファシスト人民自由連盟〉で活動し,独立後は情報局長,経済社会局長などを歴任。1957年駐米大使,国連代表となる。61年9月に急死したハマーショルド事務総長のあとをうけて,事務総長代理となり,62年11月30日に正式の事務総長に就任後,71年末まで2期務めた。前任者に比べて地味な人柄ながら,非同盟国出身の政治家としてキューバ危機コンゴおよびキプロス紛争,ベトナム問題など重要な案件に取り組み,調停者としての役割を果たした。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

20世紀西洋人名事典 「ウータント」の解説

ウー・タント
U Thant


1909.1.22 - 1974.11.25
ビルマの政治家。
元・国連事務総長(第3代)。
パンタナウ生まれ。
第二次大戦前高校教師をしていたが、戦後ラングーン大学在学中に反ファシスト人民自由連盟で活動、独立後は情報局長、経済社会局長を歴任した。1957年に駐米大使、国連代表となり’62年には第3世界初の事務総長に就任’71年には中国国連加盟に尽力した。また、キューバ危機、ベトナム停戦など調停者として重要な役割もはたした。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「ウータント」の意味・わかりやすい解説

ウー・タント

ビルマ(現ミャンマー)の政治家。ラングーン大学卒業後教育界にはいったが,第2次大戦後は反ファシスト人民自由連盟に参加。独立後,情報局長,駐米大使を経て1957年国連代表,1961年国連暫定事務総長となり,1962年正式に第3代目の事務総長に就任,1967年再選,1971年末任期満了とともに退任した。→国連事務局

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ウータント」の解説

ウー・タント
U Thant

1909~74

第3代国連事務総長(在任1961~71)。独立ビルマ政府の情報省勤務をへて54年ウー・ヌ首相の秘書官となり,57年より国連のビルマ終身代表。74年12月,その葬儀をめぐりヤンゴンで反政府運動が起こった。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android