改訂新版 世界大百科事典 「エチオピア教会」の意味・わかりやすい解説
エチオピア教会 (エチオピアきょうかい)
エチオピア共和国のキリスト教会。教義の上からは単性論派に属する。4世紀前半エチオピアにキリスト教を伝えたフルメンティオスFroumentiosは,のちにアレクサンドリア主教アタナシオスによって主教に叙階された。以降,エジプトの修道士がアブーナAbūna(エチオピア教会の首長)に就任する慣行ができた。カルケドン公会議ののち単性論派に転じたが,その間の正確な事情は知られていない。5世紀より聖書や典礼書がゲーズ語(北部の方言)に翻訳され,独特のキリスト教文化が形成された。イスラム勢力が進出すると,エチオピアはしだいに圧迫され,海への出口をふさがれて孤立化した。13世紀後半,ソロモン朝の再興とともに教会もアブーナのタクラ・ハイマーノトの努力で活力を取り戻した。14~15世紀前半の最盛期には教会は大土地所有者として国政にも密接なつながりをもった。同時にカトリック教会からの合同の働きかけも行われた。とくにエチオピアがイスラム軍の脅威にさらされると,ポルトガル軍の援助と引きかえに教会合同が問題となった。カトリックの布教にはイエズス会が当たり,1626年には国王の改宗とともにカトリックが国教とされた。しかしこれは武力を背景とした布教であったため,まもなくカトリック勢力は追放され,教会も旧に復した。エチオピア教会は単性論派の教会としては世界最大の勢力を有し,1959年にはエジプトのコプト教会から完全に独立した。74年の革命は教会の財政基盤をくつがえしたが,教会は存続している。
執筆者:森安 達也
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