コプト教会(読み)こぷときょうかい(英語表記)Coptic Church

翻訳|Coptic Church

日本大百科全書(ニッポニカ) 「コプト教会」の意味・わかりやすい解説

コプト教会
こぷときょうかい
Coptic Church

エジプトの正統キリスト教会。正式の呼称は「コプト・オーソドックス(正統)教会」。「コプト」coptは、「エジプト人」を意味するギリシア語「アイギプティオス」のアラビア語発音に由来。アレクサンドリアに主教座をもつエジプトの教会は、2世紀以降、キリスト教教義(三位(さんみ)一体論とキリスト論形成のうえに重要な役割を果たしたが、451年カルケドン公会議で採択されたキリスト論(カルケドン信条)を拒否し、教理的にはキリスト「単性論」(神とキリストとは単一の本性を有するとし、キリストの人性より神性を強調する説)を採用して、ビザンティン帝国教会と決別したといわれる。しかしこの背後には修道院を中心とするコプト教会ナショナリズムがあった。このことは、7世紀以来エジプトがアラブ化、イスラム化され、コプト人が少数派にとどまっている現在に至るまで貫かれている。

荒井 献]

『荒井献著「コプト教会」(前嶋信次・杉勇・護雅夫編『オリエント史講座 第3巻』所収・1982・学生社)』『山形孝夫著『ワディ・ナトルンの修道院――コプト修道士の生活史から』(『イスラム世界の人びと 第5巻』所収・1984・東洋経済新報社)』『村山盛忠著『コプト社会に暮らす』(岩波新書)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コプト教会」の意味・わかりやすい解説

コプト教会
コプトきょうかい
Coptic Church

エジプトにある古代からのキリスト教会で,コプトは,アラビア人が征服以前のエジプト人やその言語を qubtと呼んだことに由来する。カエサレアのエウセビオスによれば,コプト教会の始りは福音書記者マルコの宣教によるとされ,アレクサンドリアは古代教会の中心地の一つであった。この教会はディオクレチアヌス迫害に耐えて盛んとなり,4世紀にアントニウスらによって始められた修道生活も特に上エジプト地方において開花発展をみた。コプト教会のローマ教会からの分離は,カルケドン公会議 (451) においてアレクサンドリア総大主教ディオスコロスのキリスト単性論 (→キリスト単性説 ) が異端宣告を受けたことに始る。この後エジプトがペルシアによる占領 (619以後) に続いてアラブに支配されたため (642以後) ,迫害と苦難の時代が長く続いた。カリフ・ハーキム (996~1021) は 3000の教会を破壊したという。ようやくテル・エル・ケビルの戦い (1882) でイギリス支配下に入り,教会は自由を獲得,信徒数は現在約 300万,エジプト人プロテスタントは約5万,カトリック帰一教徒約8万 5000といわれる。教会は古代においてギリシア語のほかに土着のコプト語を用い,多くの宗教文学の翻訳,著作がなされたが,アラビア語の普及とともにコプト語は日常語としてほとんど廃絶し,現在では教会典礼語として残っているにすぎない。エチオピアのキリスト教会もコプト教会と伝統的に深い関係をもち,12世紀以来その首長はアレクサンドリア総大主教によって選ばれていたが,1950年以後自治教会の形成をみている。

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