日本大百科全書(ニッポニカ) 「オッペケペー」の意味・わかりやすい解説
オッペケペー
おっぺけぺー
明治中期に壮士芝居の川上音二郎が演じた一種の流行歌。後ろ鉢巻に緋(ひ)の陣羽織、滝縞(たきじま)の木綿の袴(はかま)という衣装をつけ、日の丸の軍扇をかざして威勢よく歌ったという。1888年(明治21)末に神戸の楠公(なんこう)神社付近の寄席(よせ)で大切(おおぎり)に演じたのが最初といわれるが確かではない。川上が90年、91年に上京して興行した際には中幕に演じて人気を博し、以来、彼の名はオッペケペー節とともに劇界に定着した。歌詞のほとんどは若宮万次郎の作といわれる。「権利幸福嫌ひな人に、自由湯(じゆうとう)をば飲ませたい」とか、「洋語を習ふて開化ぶり、パン喰(く)ふばかりが改良でない」というような文句のあとに、「オッペケペ、オッペケペッポー、ペッポッポー」とつけてある。ほかに「米価騰貴(とうき)の今日に、……芸者幇間(たいこ)に金を蒔(ま)き、内には米を倉に積み、同胞兄弟見殺しか」などの時局を風刺するものが多かったが、「国会ひらけた暁に、役者がのろけちゃいられない。……目玉をむくのがお好きなら、狸と添ひ寝をするがよい」という旧劇批判もあった。
[松本伸子]