川上音二郎(読み)カワカミオトジロウ

デジタル大辞泉 「川上音二郎」の意味・読み・例文・類語

かわかみ‐おとじろう〔かはかみおとジラウ〕【川上音二郎】

[1864~1911]俳優。福岡の生まれ。浮世亭〇〇まるまると名のって自由民権論を鼓吹する、おっぺけぺえ節を歌い、寄席の人気者となった。のち川上書生芝居新派劇の前身)を興し、妻の貞奴さだやっことともに欧米を巡業し、西洋演劇を日本に紹介、明治新演劇運動の先駆者となった。

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精選版 日本国語大辞典 「川上音二郎」の意味・読み・例文・類語

かわかみ‐おとじろう【川上音二郎】

  1. 新派俳優、興行師福岡県出身。自由民権運動に参加。のち講釈師、さらに落語家に転じ、浮世亭〇〇(まるまる)と名のり、おっぺけぺえ節で人気を得る。川上座帝国女優養成所を創設。正劇(翻訳劇)運動を続け、新派劇発展の基礎を固めた。文久四~明治四四年(一八六四‐一九一一

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「川上音二郎」の解説

川上 音二郎
カワカミ オトジロウ


職業
新派俳優 興行師

本名
川上 音吉

生年月日
文久4年 1月1日

出生地
筑前国博多(福岡県 福岡市)

経歴
裁判所給仕、新聞記者などを経て、自由民権運動に参加。明治20年歌舞伎俳優に加わって京都で出演、ついで大阪落語家の桂文之助に弟子入りし、“浮世亭○○”と名乗って高座に出、22年オッペケペー節で人気を得た。24年堺で書生芝居旗揚げ、27年東京に進出し、戦況報告劇「日清戦争」が大当たりをとる。29年妻の貞奴とともに神田三崎町に川上座を興し、新派劇の創始者となった。32年から欧米巡業も積極的に行ない、36年には“正劇”と称して「オセロ」などの西洋劇を紹介した。40年俳優を引退、以後、興行師に専念。劇場の建設、女優の養成、児童演劇の実践、興行制度の改革など、演劇近代化の先駆者として活躍した。明治32年に一座がパリで録音した日本人の声を収めた最古のレコードが、平成9年米国ブリガム・ヤング大学のスコット・ミラー准教授により復刻された。

受賞
パリ勲三等芸術勲章 ベルギー芸術大学上演記念章

没年月日
明治44年 11月11日 (1911年)

家族
妻=川上 貞奴(新派女優)

伝記
団菊以後女優の誕生と終焉―パフォーマンスとジェンダー江戸・東京の中のドイツ明治人のお葬式もうひとつの文士録―阪神の風土と芸術近代演劇の扉をあける―ドラマトゥルギーの社会学文学近代化の諸相〈4〉「明治」をつくった人々川上音二郎―近代劇・破天荒な夜明けふくおかの人物〈1〉 広田弘毅,川上音二郎シカゴ日系百年史 伊原 青々園 著池内 靖子 著ヨーゼフ・クライナー 著,安藤 勉 訳此経 啓助 著河内 厚郎 著井上 理恵 著小笠原 幹夫 著松永 伍一 著北川 晃二,江頭 光 著伊藤 一男 著(発行元 青蛙房平凡社講談社現代書館沖積舎社会評論社高文堂出版社朝日新聞社光文館シカゴ日系人会,PMC出版〔発売〕 ’09’08’03’01’00’99’99’88’87’86発行)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「川上音二郎」の意味・わかりやすい解説

川上音二郎
かわかみおとじろう
(1864―1911)

俳優。文久(ぶんきゅう)4年1月1日博多(はかた)に生まれる。14歳で上京、給仕、巡査などの職を転々としたのち、郷里で政治運動に投じ、自由童子と名のって過激な言動に走り、しばしば投獄された。やがて政談演説が禁止されると、浮世亭○○(うきよていまるまる)の芸名で大阪の寄席に現れ時局風刺の漫談を演じ、1887年(明治20)には京都の中村駒之助(こまのすけ)一座で俳優としての経歴を始めている。その後、書生芝居の一座を組んで巡業、1890年に東京の開盛座に進出、翌年『板垣君遭難実記(いたがきくんそうなんじっき)』をもって念願の中村座公演を果たした。その特異な格闘技や即興的演技で人気を得、ことに幕間(まくあい)に演じたオッペケペー節が評判をよんだ。1893年パリに赴き、帰国して西洋演劇の意匠を取り入れた翻案劇『意外』『又意外』『又々意外』を、さらに日清(にっしん)戦争の勃発(ぼっぱつ)に乗じて『日清戦争』を上演するなどで大成功を収めた。1896年には東京・神田に自力で川上座を建設したが、代議士に立候補して落選し、人手に渡った。1899年には妻の貞奴(さだやっこ)とともに一座を率いて欧米に公演し、好評を得て2年後に再度渡欧、ほとんどヨーロッパ全土を巡業した。帰国後、正劇(せいげき)運動と銘打って興行形態を改革し、『オセロ』『ハムレット』などを上演。しかし、俳優としてはあまり評価されず、晩年は興行師としての仕事に専心し大阪に帝国座を建てたりしたが、病のため明治44年11月11日没。草創期の新派劇の先覚者として評価されている。

[松本伸子]


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百科事典マイペディア 「川上音二郎」の意味・わかりやすい解説

川上音二郎【かわかみおとじろう】

俳優,興行師。博多生れ。14歳で上京するが,自由民権運動に同調して大阪で演説芸人となる。壮士芝居に刺激され1891年書生芝居を組織し,同年上京。政治・風俗を風刺した《オッペケペ》が評判となる。さらに探偵劇や日清戦争劇で大当りをとった。1903年には正劇(せいげき)と称し,シェークスピアの《オセロー》など翻案劇を上演。妻の川上貞奴の協力を得て,女優の養成,革新興行,帝国座の建設などを行い,新演劇(新派)開拓の先駆者となった。
→関連項目伊井蓉峰演歌長田秋濤児童劇高田実藤沢浅二郎

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改訂新版 世界大百科事典 「川上音二郎」の意味・わかりやすい解説

川上音二郎 (かわかみおとじろう)
生没年:1864-1911(元治1-明治44)

明治の俳優。九州博多生れ。14歳で上京し苦労するが,自由民権運動に同調。言論取締りに反抗して講談落語で政治宣伝をしようと,1883年大阪で演説芸人になった。壮士芝居角藤定憲(すどうさだのり)に刺激されて,91年堺で川上書生芝居を旗揚げした。同年上京し,《板垣君遭難実記》や政治,風俗を風刺した専売のオッペケペ節(陣羽織に鉢巻,日の丸の軍扇を用いて,ジェスチュアよろしく博多弁でうたった)により,歌舞伎にない風変りが評判になった。しかし技術の低さを知り,93年フランスへ行く。翌年探偵劇《意外》《又意外》の続演と,さらに日清戦争が起こるとすぐ戦争劇《壮絶快絶日清戦争》を出して,ともに大当りをとった。アイデアに富み,欧米からの吸収に大胆で,興行的にも俗受けしたが,彼のいう〈改良劇〉や〈正劇(せいげき)〉は実らなかった。99年から4年,女優川上貞奴(さだやつこ)となった夫人ら一座と2度の欧米巡業に出たが,その間に後輩は壮士劇を脱して新派劇の基礎を築くことになる。晩年は興行師に転じ,帝国女優養成所,小劇場帝国座を開いた。
執筆者:

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20世紀日本人名事典 「川上音二郎」の解説

川上 音二郎
カワカミ オトジロウ

明治期の新派俳優,興行師



生年
文久4年1月1日(1864年)

没年
明治44(1911)年11月11日

出生地
筑前国博多(福岡県福岡市)

本名
川上 音吉

主な受賞名〔年〕
パリ勲三等芸術勲章,ベルギー芸術大学上演記念章

経歴
裁判所給仕、新聞記者などを経て、自由民権運動に参加。明治20年歌舞伎俳優に加わって京都で出演、ついで大阪落語家の桂文之助に弟子入りし、“浮世亭○○”と名のって高座に出、22年オッペケペー節で人気を得た。24年堺で書生芝居を旗上げ、27年東京に進出し、戦況報告劇「日清戦争」が大当たりをとる。29年妻の貞奴とともに神田三崎町に川上座を興し、新派劇の創始者となった。32年から欧米巡業も積極的に行ない、36年には“正劇”と称して「オセロ」などの西洋劇を紹介した。40年俳優を引退、以後、興行師に専念。劇場の建設、女優の養成、児童演劇の実践、興行制度の改革など、演劇近代化の先駆者として活躍した。明治32年に一座がパリで録音した日本人の声を収めた最古のレコードが、平成9年米国ブリガム・ヤング大学のスコット・ミラー准教授により復刻された。

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朝日日本歴史人物事典 「川上音二郎」の解説

川上音二郎

没年:明治44.11.11(1911)
生年:元治1.1.1(1864.2.8)
明治期の新派俳優,興行師。筑前国博多(福岡市)生まれ。生まれた日は18日とも。本名音吉。青年時代に自由党員となり,自由童子と名乗って政談演説を行いその名を知られた。のち大阪で浮世亭○○の芸名で寄席に出勤,時局風刺の「オッペケペー節」が評判となった。明治24(1891)年堺で書生芝居を旗揚げし,上京して「板垣君遭難実記」などを上演,さらに27年戦況報告劇「日清戦争」で大当たりをとって,現代劇としての新派の基盤を築いた。29年東京神田に川上座を建設,32年からは2度にわたって欧米を巡演した。帰国後,正劇(台詞を主とした演劇)と銘うって,36年以降翻案劇『オセロ』『ハムレット』などを上演,海外公演中女優となった妻貞奴 も舞台をふんだ。また興行師として興行改革に当たり,お伽芝居(児童劇)を創始,帝国女優養成所を開設,晩年には大阪に洋風劇場帝国座を建設した。俳優としては成功しなかったが,演劇近代化の先駆者としての功績は大きい。<参考文献>松永伍一『川上音二郎』

(藤木宏幸)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「川上音二郎」の意味・わかりやすい解説

川上音二郎
かわかみおとじろう

[生]元治1(1864).1.1. 博多
[没]1911.11.11. 大阪
俳優,興行師。 14歳のとき故郷を出奔。自由党壮士となったが,弾圧のため,講釈師,寄席芸人になったり,「書生にわか」を試みたりした。 1891年,堺で川上書生芝居を旗揚げ,地方巡演ののち『板垣君遭難実記』で東京公演に成功。その年貞奴 (→川上貞奴 ) と結婚。『意外』『又意外』などホットニュースの上演や,日清戦争をあてこんだ戦争劇の連続上演で新演劇の基礎を確立,95年に歌舞伎座に進出するまでになった。 1903~06年正劇と称して,シェークスピアの『オセロ』など西欧戯曲の翻案物を上演。4度にわたる渡欧で海外巡演もし,川上座,大阪帝国座など劇場を建設したり,妻と帝国女優養成所を開いたり,時代の機をみるに敏で,事業欲に富む波乱の一生をおくった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「川上音二郎」の解説

川上音二郎 かわかみ-おとじろう

1864-1911 明治時代の俳優,興行師。
文久4年1月1日生まれ。落語家桂文之助に入門,時局諷刺のオッペケペ節で人気をえる。明治24年書生芝居を旗揚げし,「日清(にっしん)戦争」などで当たりをとり新派の基礎をきずく。27年貞奴(さだやっこ)と結婚。29年東京神田に川上座を創設。のち貞奴らと欧米を巡業し,36年正劇と称し「オセロ」などの翻訳劇を上演。41年帝国女優養成所を開設。明治44年11月11日死去。48歳。筑前(ちくぜん)(福岡県)出身。本名は音吉。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「川上音二郎」の解説

川上音二郎
かわかみおとじろう

1864.1.18~1911.11.11

明治期の俳優。筑前国生れ。自由民権期の政治青年として自由童子を名のり,演説を芸とし,オッペケペ節で人気を得る。1890年(明治23)関東ではじめて壮士芝居を演じ,翌年川上書生芝居を創始。93年に渡仏,帰国後の舞台で好評を博し,日清戦争劇で大成功をおさめた。99年に夫人川上貞奴(さだやっこ)と欧米に巡業して名を高め,帰国して翻案劇を上演した。1907年には俳優を引退,興行師となった。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「川上音二郎」の解説

川上音二郎
かわかみおとじろう

1864〜1911
明治時代の新派劇俳優・興行師
筑前(福岡県)の生まれ。自由党壮士として活躍したが,のち俳優に転向。オッペケペ節で自由民権運動を鼓吹し人気を得た。ついで壮士 (そうし) 芝居を興行。日清戦争に際し戦争劇を上演し,新派劇の基礎を固めた。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

367日誕生日大事典 「川上音二郎」の解説

川上 音二郎 (かわかみ おとじろう)

生年月日:1864年1月1日
明治時代の俳優;興行師
1911年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の川上音二郎の言及

【オッペケペ】より

…演歌の第1号。川上音二郎作。近代国家にふさわしい開明の思想を,川上は日常の卑近な例に託して歌に詠み込んだ。…

【書生芝居】より

…歌舞伎が主流であった1880年代末に,自由民権運動末期の政治宣伝劇としてこの新しい演劇ジャンルは生まれてくるが,歌舞伎の俳優が職業俳優であったのに対して,この新演劇は書生あがり,壮士あがりの素人によって始められ,名称の由来ともなった。1890年川上音二郎は大阪俄(にわか)を改良した〈書生仁輪加(にわか)〉の一座を組織して横浜,東京で公演,翌91年には堺の卯の日座に〈書生芝居〉の一座を旗揚げし,同年東京浅草鳥越の中村座に《板垣君遭難実記》やオッペケペ節を演じて喝采をあびた。これが書生芝居の最初とされる。…

【新派】より

…しかし,今日われわれが〈新派〉と呼びならわしている演劇ジャンルの発端は次の二つの動きの中に見ることができる。一つは1888年12月3日,大阪の新町座で自由党壮士角藤定憲(すどうさだのり)が〈日本改良演劇〉を名乗り,《耐忍之書生貞操佳人(こらえのしよせいていそうのかじん)》などを上演し,また遅れて91年2月5日,堺の卯(う)の日座で川上音二郎が新演劇の旗揚げをした,いわゆる壮士芝居,書生芝居の運動である。彼らは,ともに民権運動期の政治講談,政治小説を劇化上演したが,もはや民権運動が衰退した時期にあって,思想鼓吹が主たる目的というよりも,生活手段を芝居に求めたという気味が強かった。…

【ハムレット】より

…逍遥訳初版は,もっぱら実演に便宜なように企図したため,訳詞が歌舞伎式,七五調となったと彼自身述懐している。上演面では,土肥春曙と山岸荷葉が明治の華族のお家騒動物に翻案したものを川上音二郎の一座が1903年東京本郷座で上演,葉村年丸(原作のハムレット)を藤沢浅二郎が,おりえ(オフィーリア)を川上貞奴が演じた。原作に忠実な上演は文芸協会設立(1906)以降で,1911年には逍遥訳・演出(配役,ハムレット=土肥春曙,オフィーリア=松井須磨子)により上演された。…

【藤沢浅二郎】より

…京都生れ。雑誌《活眼》や《東雲(しののめ)新聞》の記者をしたのち,1891年堺で川上音二郎の書生芝居の旗揚げに俳優兼作者として参加,《板垣君遭難実記》《経国美談》《日清戦争》ほかの台本を執筆した。また《金色夜叉(こんじきやしや)》の貫一,《己が罪》の塚口などを演じ,新派の幹部俳優として活躍した。…

※「川上音二郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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