日本大百科全書(ニッポニカ) 「クルジャ」の意味・わかりやすい解説
クルジャ
くるじゃ / 固爾札
Kuldja
中国、新疆(しんきょう)ウイグル自治区北東部、イリ・カザフ自治州の南西部の県級市。中国語で伊寧(いねい)ともいう。同自治州の直轄行政単位で、政府所在地でもある。人口41万7752(2010)。住民にはウイグル、カザフなどが多い。イリ川上・中流部河谷にある。イリ河谷地域は牧畜業が盛んで、イリ馬や新疆細毛ヒツジが放牧されている。クルジャはその集散地で、畜産品加工など数十の中小型企業が発達、イリ毛紡織工場、皮革工場などの近代的工場もある。カザフスタンをはじめとする中央アジア各国との貿易も行われ、同地域の政治、経済の中心である。また「リンゴの里」や「花園の街」ともよばれ、リンゴ、アンズなどの果樹を中心に園芸が盛んである。
市街は清(しん)代以降開けた南の旧市街と、北の新市街に分けられる。精伊霍(せいいかく)線(精河(せいが)―クルジャ―コルガス)が通じ、市街近くには伊寧空港がある。東トルキスタン独立運動が盛んな地域の一つとして知られる。
[駒井正一・編集部 2018年1月19日]
歴史
この地方は遊牧に適した良好な草原地帯であり、早くから農耕も行われていた。また東西交渉路の幹線上に位置していたので、古来多くの遊牧勢力の重要な根拠地であり、国際的な交易のセンターでもあった。唐代の弓月(きゅうげつ)城やチャガタイ・ハン国の首都アルマリクは、クルジャの前身とみてよい。クルジャの名は17世紀に現れ、遊牧国家ジュンガルを滅ぼしてこの地を領有した清(しん)朝は寧遠(ねいえん)城を築き、新疆全域の総司令部を置いた。のちにロシアと清が国境を接するようになると、クルジャは国境の要地としての性格ももつようになった。中国ソ連国境、そしてソ連崩壊後はカザフスタンとの国境になって、今日では、さらにこの性格が強調されるようになっている。
[堀 直 2018年1月19日]