クレディリヨネ(その他表記)Crédit Lyonnais

改訂新版 世界大百科事典 「クレディリヨネ」の意味・わかりやすい解説

クレディ・リヨネ
Crédit Lyonnais

フランスの預金銀行預金高は世界有数。1863年にリヨン地方の絹商人および冶金業者たちによってリヨンに創設された。フランス南部に支店網をもつ地方銀行として出発したが,1879-82年に,パリ市内と全国の主要諸都市に一挙に63の店舗を開設するとともに,本店機能をリヨンからパリに移し,ソシエテ・ジェネラルと並んでフランスを代表する全国銀行に転身した。クレディ・リヨネは,以後も支店網の拡充に努め,第1次世界大戦前夜までに,店舗数はフランス国内だけで380余を数え,預金額はヨーロッパの銀行中第1位の水準に達するにいたった。クレディ・リヨネは,イギリスの株式銀行と同じく,短期性の預金を募り,それを商業手形割引などの短期信用業務に運用する預金銀行として計画されたものであるが,創業の当初は,企業のための長期の金融にも手を染めており,預金銀行業務と投資銀行業務を兼業する〈混合銀行〉の性格を濃厚に有していた。しかし,その成長の過程で(とくに1882年恐慌以後),預金銀行業務に専門化する方針を明確に打ち出し,産業金融から漸次撤退していった。また,クレディ・リヨネは国際市場にも進出すべく,早くから海外支店を開設していた。1870年12月のロンドン支店を皮切りに,19世紀末までに11の海外支店(植民地を含まず)を開設した。19世紀末~20世紀初頭には,これらの支店を足場にして外国証券,とくにロシア国債の引受け・発行を大規模に行い,資本輸出の中心的な担い手となった。クレディ・リヨネの経営政策は安全性を最優先する極度に慎重なものとして知られるが,これは初代頭取ジェルマンHenri Germainのもとで採用されたものである。第1次大戦以後,同行の活動の範囲は相対的に狭められ,1945年には他の同種の預金銀行とともに国有化された。しかし,20世紀初頭までに整備された預金銀行としての機能と政策の基本的枠組は,大きな変更を受けることなく今日のクレディ・リヨネに継承されている。1980年末時点の店舗数は2312で,そのうちの55が海外支店である。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のクレディリヨネの言及

【リヨン】より

…しかし,工業の発達とともに社会的な対立が顕著になり,1831年に起きた労働者の反乱は政府の武力弾圧によって鎮定されたが,34年に再び反乱が起こり,同市の労働運動はフランスの先端を切った。また諸産業の発達と交易の中心地であることは金融資本を育て,金融業者の集中を促し,63年には預金銀行クレディ・リヨネが創設された。この銀行は1945年に国有化され,フランス第2の規模を誇っている。…

※「クレディリヨネ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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