ソシエテ・ジェネラル(読み)そしえてじぇねらる(その他表記)Société Générale

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ソシエテ・ジェネラル」の意味・わかりやすい解説

ソシエテ・ジェネラル
そしえてじぇねらる
Société Générale

フランスの大手銀行。1864年に産業資金供給のために設立され、短期間で全国に支店網をつくりあげた。当初は、鉄道業や製鉄業への融資公債投資など投資銀行業務が中心であったが、20世紀に入ると預金銀行としての活動に集中するようになる。20世紀前半は、第一次世界大戦や大恐慌のために多くの困難を経験したが、近代的な預金銀行として急成長した時期でもあった。1945年、他の主要金融機関とともに戦後復興のために国有化される。第二次世界大戦後のインフレ抑制政策のもとで、信用枠を政府に規制されていたために、1960年代になってから国際金融市場に進出、また、欧州共同市場(ヨーロッパ経済共同体)の成立による貿易拡大の波にのって輸出入金融に取り組むなど、国際展開が急速に進む。保守的な経営姿勢を伝統としていたが、1980年代になると、企業向け融資や投資銀行業務に重点を移したり、アジア向け融資を拡大するなど、収益力重視に方向を転換した。財務体質が優れていたところから、ミッテラン政権下の1987年、フランスの金融機関のなかでは最初に民営化された。1980年代末以降、学生ローンや住宅抵当融資など、個人向け融資に比重を移すなどの積極的な経営戦略を展開し、民間大手の銀行に成長していった。

 1999年2月、投資銀行パリバParibas(現ビー・エヌ・ピー・パリバ)との間で株式交換による合併に調印したが、その直後にパリ国立銀行からの敵対的買収にあい、株式の買収合戦を繰り広げた。その結果、パリ国立銀行に買収されることは免れたが、パリバとの統合には失敗した。

[小澤一男]

その後の動き

2008年1月、ディーラー(自己の責任で証券取引を行う者)による株価指数先物の不正取引で49億ユーロの損失が発生した。2008年2月にロシア有数の商業銀行であるロスバンクRosbankを傘下に収めた。なお、1973年に東京支店が開設されている。2008年の総資産額は1兆1300億ユーロ、従業員数は世界82か国に16万3082人。

[編集部]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「ソシエテ・ジェネラル」の意味・わかりやすい解説

ソシエテ・ジェネラル
Société générale

フランスの預金銀行。クレディ・リヨネ,商工信用銀行,パリ国民銀行(パリ割引銀行の後身)とともにフランス四大預金銀行と呼ばれる。本店パリ。1864年にクレディ・モビリエと対立関係にあったパリの有力銀行家および産業企業家たちにより,通常の銀行業務のほかに,長期の産業金融などあらゆる金融業務をも営む〈混合銀行〉としてパリに創設された。同行は創設の当初から,パリおよび地方への支店・営業所の開設を積極的に進め,70年までに47の店舗を設置し,フランスの銀行の中で最初に全国支店網を完成させた。また,すでに1860年代からフランス国内だけでなく,ヨーロッパ大陸諸国の企業発起や大規模な公債の引受け・発行を行っていたが,70年代からはロシア,ラテン・アメリカに,さらに90年代からは北アメリカ,アフリカ,アジアへと,活動の地理的範囲を世界全域に広げていった。ソシエテ・ジェネラルはその成長の過程で,とくに90年代の中葉から次第に短期の預金銀行業務に業務の重心を移す傾向を示したが,第1次世界大戦前夜においてもなお,産業と緊密な関係を維持していた。同行の活動は第1次大戦以後,内外の政治的経済的変動によって停滞を余儀なくされていたが,1950年代初頭から再び上向きに転じ,今日にいたっている。1945年に他の三つの預金銀行およびフランス銀行とともに国有化された。28ヵ国に約4300の店舗を有している。預金残高2134億ユーロ(2004年12月)。
執筆者:


ソシエテ・ジェネラル
Société générale de Belgique

ベルギー最大の持株会社で,コンツェルンを形成。本社はブリュッセルにある。1822年にブリュッセルの商人,金融業者たちが,通貨の混乱を克服し為替取引の便を図るために発券銀行として企画。当時ベルギーを統治していたオランダ国王ウィレム1世は,これを認可するに当たってその定款を大幅に修正し,自らも大口の出資を行ってその性格を国家財政の下請機関に変え,名称も銀行の名を避けて〈全ネーデルラント産業振興会社Société générale des Pays-Bas pour favoriser l'industrie nationale〉とした。30年のベルギー独立後は,製鉄,機械,石炭などの株式会社の設立を援助し,一大産業コンツェルンに成長し,後のフランスやドイツの投資銀行,あるいは日本の興業銀行の模範となった。48年の経済危機で,その発券業務を新設の中央銀行(国立銀行)に譲り渡したが,その後もベルギー国内のみならずヨーロッパ,ロシア,とりわけコンゴ植民地(現,コンゴ民主共和国)に積極的な投資活動を続けた。1903年現社名となる。34年の金融危機で銀行部門は持株会社から分離され,〈ソシエテ・ジェネラル銀行〉として現在にいたる。現在もなお世界各地で多数の企業を支配している。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

今日のキーワード

ドクターイエロー

《〈和〉doctor+yellow》新幹線の区間を走行しながら線路状態などを点検する車両。監視カメラやレーザー式センサーを備え、時速250キロ以上で走行することができる。名称は、車体が黄色(イエロー)...

ドクターイエローの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android