日本大百科全書(ニッポニカ) 「クローネンバーグ」の意味・わかりやすい解説
クローネンバーグ
くろーねんばーぐ
David Cronenberg
(1943― )
カナダの映画監督。トロント生まれ。父は犯罪小説専門の記者兼編集者、母親はバレエ団や聖歌隊で伴奏を務めるピアニストであったため、家は書物であふれかえり、ピアノの音がいつも流れる、といった知的な中産階級の家庭環境で育つ。父親の影響で作家志望だった彼は、10代になると小説の執筆を開始、雑誌へも投稿するが芳しい成果はなかった。1963年にトロント大学理学部(生化学・生物学専攻)に入学。しかし理学部の雰囲気に違和感を覚えて、翌年には英語・英文学部に転部する。これも、少年時代から彼の関心が文学と科学に引き裂かれてきたことを物語るエピソードだが、その後、映画監督として彼が製作した作品群にも、はっきりと文学と科学の特殊な形態での融合が刻印されている。ちなみに、彼がもっとも敬愛する作家は、ウラジミール・ナボコフとウィリアム・バローズである。
同じ英文学専攻の学生が撮った作品に触発されて、16ミリの実験的な短編『トランスファー』Transfer(1966)と『フロム・ザ・ドレイン』From the Drain(1967)を数人の友人の力を借りて製作したころから、彼の映画監督としてのキャリアがスタートする。イングマル・ベルイマンやフェデリコ・フェリーニといったヨーロッパ系の映画監督、当時アメリカなどで製作されていた実験的なアンダーグラウンド映画などから刺激を受けていたが、クローネンバーグにとっての映画は、文学と違って他の作家たちからの直接的な影響を受けずに取り組むことのできる領域であり、だからこそ彼は映画作りの虜(とりこ)になった。1967年に大学を卒業。カナダ・カウンシルから資金援助を受けて初の35ミリによる中編『ステレオ 均衡の消失』(1969)、カナダ映画振興協会から補助金を得て『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』(1970)を完成させた。
その後、何本かのテレビ番組の監督を経て、最初の商業映画『シーバース 人喰い生物の島』(1975)を完成させると、矢継ぎ早に『ラビッド』(1978)、『ザ・ブルード 怒りのメタファー』(1979)、『スキャナーズ』(1981)とユニークな作品群を発表していく。これらの初期作品はすべて、映画産業の地盤が希薄なカナダにおいて、ほぼ唯一残された生き残りの手段として、性的な要素を加えたSFホラー映画を低予算で撮ったものだが、彼の資質と合致する方向性でもあった。冷戦体制が深刻化した1950年代のカナダの抑圧的な雰囲気と、その揺り戻しとしての1960年代の解放的気運を体験した世代にクローネンバーグはあたる。彼の初期作品を彩る性的要素――たとえば、『シーバース』のラストで見られる性的乱交を思わせる狂乱、『ラビッド』で女性の脇に生える男性性器らしき突起物――は、かならずしも商業映画の要請だけに基づくものではなかった。さらに、ホラー映画というジャンルの選択にしても、当時、世界的に流行していたからというより、本来、文学と科学の融合を目ざすクローネンバーグの嗜好(しこう)に沿うものでもあった。彼の作品に頻繁に登場する破滅型の科学者や医者は、科学や医学への嫌悪や懐疑の表明ではなく、科学や医学の対象としての肉体が、それらのコントロールを超えてしまう局面に映画作家の関心が注がれていた事実を物語る。クローネンバーグ流のSFホラーは、宇宙などの外部から飛来する地球外生物への恐怖ではなく、もっとも身近にありながら統御不能な自身の肉体を怪物とみなす視点に由来する、きわめて内省的な恐怖に基づくもので、だからこそ、彼の映画への観客からの生理的な拒否反応が絶えないのだ。
ラストの頭部爆発シーンで有名な『スキャナーズ』のヒットで、活動領域も広がりをみせ、『ヴィデオドローム』(1982)にはアメリカ資本も参加。ケーブルテレビやビデオなどのメディアの急激な拡大のなかで生きる現代人をめぐる考察を展開する内容で、あまりにマニアックな作品のため興行的にはふるわなかったが、その鮮烈な映像によってクローネンバーグの知名度は一気に国際的なものとなる。続く、スティーブン・キング原作の同名の小説の映画化『デッドゾーン』(1983)は、これまで特殊なファン層にのみアピールできるカルト的な映画作家とみなされてきた彼のイメージを覆す端正な画面と演出で評価され、次作である『蝿男の恐怖』(1958)のリメイク『ザ・フライ』(1986)は、初の本格的なハリウッド大作にして、興行的にもクローネンバーグ最大のヒット作となった。この作品でも追求されるのは、ハエ男へと変身を遂げる男性科学者の統御不能な肉体を見据えることによる恐怖である。
これ以降、ヒットメーカーとして成功を収めた彼のもとにさまざまな依頼が舞い込む。しかし次回作として彼が選んだ『戦慄の絆(きずな)』(1988)は、1974年に実際に起こった事件に喚起された、破滅への道を歩む一卵性双生児の男性産婦人科医の物語で、ふたたびクローネンバーグ流のビザール(倒錯的)な世界に回帰。その後も、彼にとって崇拝の対象である作家バローズの小説を大胆に翻案した『裸のランチ』(1991)や、イギリスのSF小説の鬼才J・G・バラードの同名の原作に基づく『クラッシュ』(1996)など、次々と話題作を発表。クローネンバーグは、マイナーなアート系実験映画の領域にとどまることなく、その一方でハリウッドのメインストリームに取り込まれることも回避することで、独自の活動領域を確立した映画監督である。
[北小路隆志]
資料 監督作品一覧
ステレオ 均衡の遺失 Stereo(1969)
クライムズ・オブ・ザ・フューチャー Crimes of the Future(1970)
シーバース 人喰い生物の島 Shivers(1975)
ラビッド Rabid(1977)
クローネンバーグのファイヤーボール Fast Company(1978)
ザ・ブルード 怒りのメタファー The Brood(1979)
スキャナーズ Scanners(1981)
ヴィデオドローム Videodrome(1982)
デッドゾーン The Dead Zone(1983)
ザ・フライ The Fly(1986)
戦慄の絆 Dead Ringers(1988)
裸のランチ Naked Lunch(1991)
Mバタフライ M. Butterfly(1993)
クラッシュ Crash(1996)
イグジステンズ eXistenZ(1999)
スパイダー 少年は蜘蛛にキスをする Spider(2002)
ヒストリー・オブ・バイオレンス A History of Violence(2005)
イースタン・プロミス Eastern Promises(2007)
それぞれのシネマ~「最後の映画館における最後のユダヤ人の自殺」 Chacun son cinéma - At the Suicide of the Last Jew in the World in the Last Cinema in the World(2007)
危険なメソッド A Dangerous Method(2011)
コズモポリス Cosmopolis(2012)
『クリス・ロドリー編、菊池淳子訳『クローネンバーグ・オン・クローネンバーグ』(1993・フィルムアート社)』