イタリアの映画監督。1月20日アドリア海に面した小都市リミニに生まれる。漫画や似顔絵かき、ラジオの台本書き、ギャグライターなどを経て映画のシナリオに手を染める。1942年、女優のジュリエッタ・マシーナGiulietta Masina(1923―1994)と結婚(のちに彼女はフェリーニの多くの作品に出演)。第二次世界大戦後、ロッセリーニ監督ほかへの協力で、ネオレアリズモ期のイタリア映画の一翼を担うことになった。監督としては『寄席(よせ)の灯(ひ)』(1950、共同監督)ですでに後のモチーフの一つである芸人たちを登場させているが、一本立ちは次作『白い酋長(シーク)』(1952)からである。『青春群像』(1953)では、精神的巣立ちができない地方都市の「のらくら」青年たちを描いてベネチア国際映画祭で受賞したが、彼の名が国際的になったのは『道』(1954)によってである。『道』でヒューマニズムの作家と受け取られた彼は『甘い生活』(1960)で現代ローマの退廃と宗教の無力を描き論争を巻き起こしたが、『8½』(1963)では「幻想の作家」としての資質を強く打ち出した。以後、女性の夢想世界『魂のジュリエッタ』(1965)、都市のファンタジー『フェリーニのローマ』(1972)、故郷への詩的幻想『アマルコルド』(1974)など一作ごとに独特の映像を創造し、現代のもっとも個性的な監督の一人となった。ほかに『崖(がけ)』(1955)、『カビリアの夜』(1957)、『サテリコン』(1969)、『道化師』(1970)、『カサノバ』(1976)、『女の都』(1980)、『そして船は行く』(1983)、『ボイス・オブ・ムーン』(1990)など。
[岩本憲児]
寄席の灯[アルベルト・ラトゥアーダとの共同監督] Luci del varietà(1950)
白い酋長 Lo sceicco bianco(1952)
青春群像 I vitelloni(1953)
街の恋 L'amore in città - Un Agenzia matrimoniale(1953)
道 La strada(1954)
崖 Il bidone(1955)
カビリアの夜 Le notti di Cabiria(1957)
甘い生活 La dolce vita(1960)
ボッカチオ'70~「誘惑」 Boccaccio'70- Le tentazioni del dottor Antonio(1962)
8½ Otto e mezzo(1963)
魂のジュリエッタ Giulietta degli spiriti(1965)
世にも怪奇な物語~「悪魔の首飾り」 Histoires extraordinaires - Toby Dammit(1967)
サテリコン Fellini-Satyricon(1969)
フェリーニの道化師 I Clown(1970)
フェリーニのローマ Roma(1972)
フェリーニのアマルコルド Amarcord(1974)
カサノバ Il Casanova di Federico Fellini(1976)
オーケストラ・リハーサル Prova d'orchestra(1978)
女の都 La Citta delle donne(1980)
そして船は行く E la nave va(1983)
ジンジャーとフレッド Ginger e Fred(1985)
インテルビスタ Intervista(1987)
ボイス・オブ・ムーン La voce della luna(1990)
キング・オブ・アド The King of Ads(1991)
『岩本憲児編『フェリーニを読む――世界は豊穣な少年の記憶に充ちている』(1994・フィルムアート社)』▽『フェリーニ著、岩本憲児訳『私は映画だ』新装改訂版(1995・フィルムアート社)』▽『ジョン・バクスター著、椋田直子訳『フェリーニ』(1996・平凡社)』▽『コスタンツォ・コスタンティーニ編著、中条省平・中条志穂訳『フェリーニ・オン・フェリーニ』(1997・キネマ旬報社)』▽『トゥッリオ・ケジチ著、押場靖志訳『フェリーニ――映画と人生』(2010・白水社)』
イタリアの映画監督。〈ネオレアリズモ〉から出て〈ネオレアリズモ〉を変革した重要な監督として知られる。彼の名は《無防備都市》(1945)をはじめとするロベルト・ロッセリーニ監督作品からピエトロ・ジェルミ監督《無法者の掟》(1949),《越境者》(1950)などに至る〈ネオレアリズモ〉の創造的な時代のシナリオライターとして早くから注目されており,〈ネオレアリズモ〉を生み出し,支えてきた重要な担い手の一人として認められていたが,その名声を世界的にした監督第5作《道》(1954。アカデミー外国語映画賞を受賞した)は〈象徴的ネオレアリズモ〉とか〈抒情的ネオレアリズモ〉とよばれるほど従来の〈ネオレアリズモ〉を変えた作品であった。その後の作品は一貫して,自伝的な《青春群像》(1953)以来の私映画的な方向に向かい,映画監督であるみずからの苦悩を映像化したともいえる《81/2》(1963)で頂点に達し,それと同時に題名に〈フェリーニの〉と付すことに示されるように,映画による個人史,告白録,省察録,回想録,情念のスペクタクルといった形で《フェリーニのローマ》(1973),《フェリーニのアマルコルド》(1974)等々をつくって,映画史上類を見ない壮大な〈個人映画〉の系譜を築いた。
〈ほら吹き〉で通り,みずからも〈誠実なうそつき〉を任ずるだけあって,その経歴は真偽入り混って明らかではないが,北イタリアのリミニに生まれ,幼児からサーカス好きで,早くから家出し,ローマ大学に在籍したものの,もっぱら風刺画や似顔絵をかいて,自堕落な生活を送り,しだいに旅回りの劇団に身を投ずるようになった。その後,喜劇映画のギャグを書いたり,ラジオ番組の台本書きなどをやっているうちに,その関係で女優のジュリエッタ・マシーナと知り合い,1943年に結婚。戦争直後にロッセリーニと出会い,彼のスタッフの一人となって,〈ネオレアリズモ〉の重要な一翼を担うこととなった。
《道》の国際的成功によってイタリア映画の〈新しい天才〉とうたわれたフェリーニは,典型的なイタリア人でその思想は地中海文明と西欧文化の洗礼を受けた〈社会的カトリック主義者〉とみなされていたが,《道》とともに〈孤独の三部作〉といわれる《崖》(1955)と《カビリアの夜》(1957)のあと,その題名がヨーロッパで退廃と享楽生活をあらわすことばとして流行した《甘い生活》(1960)が公開されたときは,商業化した宗教を揶揄(やゆ)されたと解釈した教皇庁が〈反キリスト映画〉であると非難し,性的腐敗と精神的貧困を弾劾されたと解釈した上流階級と協力して,組織的で暴力的な上映反対運動を起こしたという。《カサノバ》(1975),《オーケストラ・リハーサル》(1979)などは〈自己満足〉を指摘されたりもしたが,1984年につくった《船が行く》は,現代を風刺する寓話を題材にして虚構の空想的世界をつくりあげるフェリーニの手法を集大成した作品であり,《道》の詩情,《甘い生活》の精緻(せいち)さ,《フェリーニのアマルコルド》の魅力,《オーケストラ・リハーサル》のシュルレアリスム的なユーモアを兼ねそなえた傑作との声が高い。
執筆者:吉村 信次郎+柏倉 昌美
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… 〈ネオレアリズモ〉の創始者は前記のロッセリーニ,デ・シーカ,ビスコンティの3人とされ,その周辺に,《陽はまた昇る》(1946)のアルド・ベルガノ,《無法者の掟》(1949)のピエトロ・ジェルミPietro Germi(1914‐74),《ポー河の水車小屋》(1949)のアルベルト・ラットゥアーダAlberto Lattuada(1914‐ ),《荒野の抱擁》(1947)のジュゼッペ・デ・サンティス,《平和に生きる》(1946)のルイジ・ザンパLuigi Zampa(1905‐91)などがいる。ミケランジェロ・アントニオーニ,フェデリコ・フェリーニらはこの後の世代になる。 〈ネオレアリズモ〉は明確な芸術的マニフェストをもつ映画運動ではなく,同時代の映画作家たちに共通したリアルで鋭い状況認識の下に自然発生的に生まれたものであり,そうして生まれた作品群が今度は逆に一つの運動体として映画作家たちにによって認識され,意図的な方向が探求されはじめたものであった。…
…モノクロ作品。フェデリコ・フェリーニ監督の9本目の作品だが,第1作の《寄席の脚光》(1950)はアルベルト・ラットゥアーダとの共同監督であったので1/2と数え,総作品本数の81/2をそのまま題名にしたものである。この題名のつけ方からも,これが彼の過去の作品の総括であり,また新しい出発点であり,そのマニフェストであることがわかる。…
…1954年製作のイタリア映画。34歳のフェデリコ・フェリーニ監督が〈イタリア映画の新しい天才〉として世界に認められた名作で,神あるいは人間の救いをテーマとするフェリーニが,もっとも愛着を感じている自己表白的作品でもある。心も体も野獣のような単純で粗野な大道芸人(アンソニー・クイン)が,貧しい農家から1万リラで買った神のように純粋で痴愚な娘ジェルソミーナ(ジュリエッタ・マシーナ)の愛によって,〈魂の覚醒〉を知る物語を,ニーノ・ロータ作曲の哀切きわまりないメロディに乗せて描き,世界中の心をとらえた。…
※「フェリーニ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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