日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
コーラ・ディ・リエンツォ
こーらでぃりえんつぉ
Cola di Rienzo (Rienzi)
(1313/1314―1354)
イタリアの政治家、改革者。青年期より古代ローマの偉大さに傾倒、その復興を夢みるようになる。1343年、アビニョンの教皇クレメンス6世のもとに使節として派遣されたおり、彼の理想と熱意に感銘した教皇の支持を得た。帰国後、民衆の味方として活躍、その人気を背景に、1347年5月護民官となり、ローマ市政の主権を掌握した。貴族の制圧、治安の確立などに成功したが、他方、ローマを世界首府と宣し、それを中心とするイタリア統一を唱えるなど軽挙妄動に走り、教皇をも敵に回した。そのうえ自身の独裁、専横ぶりに民衆からも見離され、早くも同年12月に失脚した。神聖ローマ皇帝カール4世の支援を得るのにも失敗し、異端のかどで死罪を宣告された。皇帝自身のとりなし、新教皇インノケンティウス6世の思惑もあって赦(ゆる)され、1354年、アビニョンよりローマに帰還したが、私兵を使っての横暴と新税・増税の失政のため市民の憎悪の的となり、同年10月の暴動の際に殺害された。夢想家ではあったが、コーラのローマ帝国復興と教会を柱としてのイタリア統一の理想には、ペトラルカをはじめ共感を示した人物が少なくなかった。
その劇的な生涯は、後世文学作品に取り上げられた。R・ワーグナーのオペラ『リエンツィ』は彼を主人公としている。
[在里寛司]