ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サクスコーブルゴツキ」の意味・わかりやすい解説
サクスコーブルゴツキ
Saxecoburggotski, Simeon
ブルガリア最後の王(在位 1943~46),首相(在任 2001~05)。1943年8月父のブルガリア王ボリス3世が謎の死を遂げたため,6歳で王位を継承し,シメオン2世として即位した。叔父のプレスラフ公キリル王子,元戦争大臣ニコライ・ミチョフ中将,元首相ボグダン・フィロフの 3人が摂政団として政務をとった。枢軸国から離脱したブルガリアにソビエト連邦軍が侵攻すると,3人の摂政は逮捕され,1945年2月に全員処刑された。1946年9月国民投票によって王制が廃止され,シメオン2世と母后ジョバンナは亡命した。その後スペインのマドリードに移住し,スペイン人女性と結婚。1996年に帰国し,のちに王家の財産の大半を返還された。2001年4月新党シメオン2世国民運動 NDSVの結成を発表。同年 6月の選挙で NDSVは議席定数 240のうち 120を獲得し,トルコ系少数民族政党,権利と自由のための運動 MRFと連立政権を樹立した。2001年7月首相に就任。政界に縁のない専門家を中心とした組閣により経済改革と汚職撲滅に取り組んだ。ヨーロッパ連合 EUと北大西洋条約機構 NATOへの加盟準備を重視することも表明し,2004年に NATOに加盟した。2005年の選挙で NDSVは得票率 2位に終わり,首相の座をブルガリア社会党 BSPのセルゲイ・スタニシェフに譲った。
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