日本大百科全書(ニッポニカ) 「サビンビ」の意味・わかりやすい解説
サビンビ
さびんび
Jonas Malheiro Savimbi
(1934―2002)
アンゴラ解放闘争の指導者。同国南部のオビンブンドゥ人出身。スイスのローザンヌ大学卒業。1961年H・ロベルトのアンゴラ人民同盟(UPA)書記長となるが、蜂起(ほうき)失敗後ザイール(現コンゴ民主共和国)に逃れ、亡命革命政府の外相となった。1964年北部のバコンゴ人を重視するロベルトのバコンゴ部族主義を批判し、南部で1966年アンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)を結成した。1974年以降ふたたびロベルトと組んでネトの率いるアンゴラ解放人民運動(MPLA)と対立。1975年1月アルボール協定により3解放勢力の暫定政府が樹立されたがただちに解体、UNITAは同年11月に南部でアンゴラ人民民主共和国樹立を宣言し、MPLAもアンゴラ人民共和国を宣言して独立、ただちにネト政権と内戦に入った。さらに南アフリカとアメリカの支援を受けて、UNITAは中・南部に勢力を拡大した。冷戦終結後の1991年和平協定が結ばれ、1992年初の複数政党制下の選挙が実施されたが、サビンビは選挙に不正があったとして結果を認めず、再度内戦に突入した。国連の介入によって1994年再度ルサカ和平合意が行われ、1997年国民統合政府が樹立されたが、サビンビは入閣を拒否し内戦を継続。アメリカの支援が停止されたのち、国内のダイヤモンド鉱山地域を占領、ダイヤ密輸により戦費をまかなった。2002年2月、東部州モシコの戦闘で被弾し死亡。4月UNITAは停戦に合意した。
[林 晃史]
『Fred BridglandJonas Savimbi ; a key to Africa(1986, Paragon House, New York)』▽『Elaine WindrichThe Cold War guerrilla ; Jonas Savimbi, the U.S. media, and the Angolan War(1992, Greenwood Press, New York)』