サン・ジェルマン・デ・プレ修道院 (サンジェルマンデプレしゅうどういん)
Abbaye de Saint-Germain-des-Près
パリのセーヌ川左岸に6世紀に創建された修道院。最初は聖十字架および聖ウィンケンティウスVincentius(フランス名サン・バンサンSaint-Vincent)に奉献されたが,後にパリ司教で当院に葬られた聖ゲルマヌスGermanus(フランス名サン・ジェルマン。496ころ-576)の名を冠するようになる。メロビング朝時代から崇敬を集め,カロリング朝時代のルートウィヒ1世(敬虔王)の時代(814-840)には8万エーカーの所領と1万人を超える農民を擁する大土地所有者となり,帝国行政にも大きな役割を演じた。9世紀後半からノルマン人の侵入などによって荒廃したが,12世紀には学問の中心となり,カルティエ・ラタンの一部となった。17世紀に入りサン・モール修道会に所属し,J.マビヨンら多数の古文書学者たちが集まるようになってから非常な名声を得た。彼らの厳密な教父著作校訂本や古文書論はいまなお生命を保っている。修道院の大部分はフランス革命中に破壊されたが,みごとな写本類は救われ,パリの国立図書館(ビブリオテーク・ナシヨナル)に移管されて今日にいたっている。
執筆者:今野 國雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
サン・ジェルマン・デ・プレ修道院
さんじぇるまんでぷれしゅうどういん
パリの中心部、セーヌ川左岸のサン・ジェルマン・デ・プレSaint-Germain-des-Prés地区にあったフランス最古の修道院。6世紀中ごろの創建とされ、当時のパリ司教ゲルマヌス(ジェルマン)の墓所があるため、この名でよばれる。カロリング・ルネサンス期にベネディクトの会則を採用して以来大いに栄え、中世を通じて貴重な資料がここで多く編纂(へんさん)された。なかでも、『イルミノンの所領記録』Polyptyque d'Irminonは、中世修道院の荘園(しょうえん)(所領)経営の実態を示し、中世経済史研究の根本史料となっている。17世紀にはマビヨンはじめ聖(サン)モール教団の研究活動の中心となったが、フランス革命で閉鎖された。現在、12世紀ロマネスク様式の教会堂が一部残存する。
[鶴岡賀雄]
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サン・ジェルマン・デ・プレ修道院(サン・ジェルマン・デ・プレしゅうどういん)
Saint-Germain-des-Prés
パリ,セーヌ川左岸のベネディクト会修道院。543年ないし558年ヒルデベルト王の創建で,イルミノン修道院長(在職812~817)は有名な土地台帳を残した。1631年以来サン・モール会に属し,同会研究活動の中心となった。
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世界大百科事典(旧版)内のサンジェルマンデプレ修道院の言及
【カロリング朝美術】より
…ナトゥルノNaturnoのサン・プロコロ教会にはアイルランドの影響を思わせる幻想的な天使が見られ,ミュステールMüstairのザンクト・ヨハネス教会には西ヨーロッパ最古の〈最後の審判〉図や〈キリスト伝〉など多数の壁画(800ころ)がある。また[オーセール]のサン・ジェルマン・デ・プレ修道院教会には〈ステファヌス伝〉壁画やアラベスク文様(857以前)が残っている。ジェルミニー・デ・プレの礼拝堂には,この期の数少ないモザイクの残存例がある。…
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