改訂新版 世界大百科事典 「シビルハーン国」の意味・わかりやすい解説
シビル・ハーン国 (シビルハーンこく)
Sibir Khān(Han)
15世紀末にジュチの血を引くシャイバーン家のイバクIbakが,13世紀以来西シベリアのイルティシ川中流域とトボル川下流域とを支配してきたタイブガTaybuga家と姻戚関係を結び,やがて統治の実権を握ったことに始まる。イルティシ川に臨むカシリクKashlik(シビル,イスケル。トボリスクの17km上流)を首都として,西方ではカザン・ハーン国,南方ではカザフ・ハーン国に隣接し,特産の毛皮類が中央アジア方面に輸出された。住民は,シベリア・タタールと総称されるトルコ系諸族とフィン・ウゴル系諸族からなり,宗教は公的にはイスラムであったが,多くは古来の信仰を強く保持していた。16世紀の後半に入ると東方に拡大するロシアと直接境を接するにいたり,1582年にはエルマークの率いるコサック部隊によって首都を占領された。その後もクチュム・ハーンQuchum Khān(1600没)のもとに抵抗を続けたが,98年決定的な敗北を喫し,シビル・ハーン国の領域はロシア帝国の領土に編入された。なお,シベリア(ロシア語でシビルSibir’)の名は,このハーン国の国名に由来する。
執筆者:小松 久男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報